現在の、世界一のバスケットボールコーチと言えば誰でしょうか。
コーチKこと、デューク大学ヘッドコーチのマイクシャシェフスキーの名ををあげる人は多いと思います。
・1991、1992年連覇を含む、NCAA優勝5回
・北京、ロンドン、リオデジャネイロと五輪3連覇
・トルコ、スペインと世界選手権2連覇
・・・もちろん殿堂入り
今回は、日本でも有名な、コーチKとデューク大学バスケットボールの歩みを振りかえってみたいと思います。
コーチKとデューク大学バスケットボール成功のベースはリクルート
コーチKとデューク大学に、”何が”これほどの成功をもたらしたか。
多くの要因があると思いますが、一番はやはり選手のリクルートです。
好選手の勧誘なしに、コーチKとデューク大学バスケットボールの成功は語れません。
コーチKとデューク大学バスケットボールの戦績・リクルート
シカゴ出身のコーチKは、ニューヨーク州ウェストポイントのアーミー(陸軍士官学校)へ進みます。
このNCAAディビジョン1校でプレイした時のヘッドコーチがボビーナイト。
アーミーを卒業したのち、コーチKはナイトがヘッドコーチに就いたインディアナ大学で1季アシスタントコーチをつとめ、1975年から5シーズン、母校アーミーでヘッドコーチとしてチームを率いました。
↓真ん中がボブナイト、左端がコーチK。*The Sportnig News
アーミーでの成績は73勝59敗。勝率553。
NITに一度導いただけで、NCAAトーナメントには一度も出ることがありませんでした。*2017年現在、アーミーはいまだNCAAトーナメント出場を果たせていません。
ところがこの時点で、すでにNCAA準優勝2回の実績があるノースカロライナ州の名門校デュークから、ヘッドコーチ職の声がかかります。
1976年に32勝無敗でNCAA優勝を果たしたボブナイトは天才バスケットボールコーチの名をほしいままにしており、「その弟子」で、アーミー出身のコーチKならば、学業でも優秀で究極の文武両道を貫くデューク大学ヘッドコーチにふさわしい、と判断されたからです。
1980年。コーチKは33歳にして、デューク大学のヘッドコーチに着任します。
コーチK、解任の危機
ところがコーチKでさえも、着任早々”殺人リーグ”ACCの洗礼を受けます。
前コーチの遺産で初年度こそNITに進みますが、翌2シーズンは屈辱的な負け越し。
3季連続でNCAAトーナメント出場を逃したことで、デューク大学はコーチKの解任さえ検討します。
↑このAD(大学のアスレティックディレクター、体育局長)の英断もありますが、コーチKの「危機」を救ったのはリクルートでした。
1982年のオフ、コーチKが初めて獲得したマクドナルドオールアメリカン、ワシントンDC出身のジョニードーキンス(後のNBAプレイヤー。スタンフォードを経て、現セントラルフロリダ大学ヘッドコーチ)のおかげで、コーチKのクビは何とかつながります。
初のファイナルフォーも、優勝できないコーチKとデューク
ドーキンスのほか、白人のビッグマン、マークアラリー(後のNBA選手)とジェイビラス(現ESPNカレッジバスケットボールアナリスト)をそれぞれアリゾナとカリフォルニアから獲ったコーチKは、翌1983年オフにもトミーアマカー(シートンホール→ミシガン→現ハーバード大学HC)というオールアメリカンをリクルート。
彼らが中心となり、1986年、ついにコーチKは初のファイナルフォー進出を果たします。*準決勝でラリーブラウン率いるカンザスをやぶり、決勝でルイビルに敗退。
「好選手こそがチームに好成績をもたらす」とばかりに、コーチKは一年あけて1985年、ダニーフェリー(後のNBA選手、エグゼクティブ)とクインスナイダー(元ミズーリ大学HC、現ユタジャズHC)という、いかにもデュークらしい、2人の白人スター選手をリクルート。
この1985年以降2017年現在まで約30年間、コーチKは少なくとも1人、必ずマクドナルドオールアメリカンプレイヤーの獲得に成功しています。
一度ファイナルフォーに進んでしまうと、大学にも大きな利益がもたらされます。
テレビ露出の増加など、さらにバスケットボールチームを取り巻く環境が向上すると、有望高校生が「学業に厳しく敬遠していた」デュークへの進学を前向きに考え始めます。
1986年の2人に続き、’87年にグレッグクーベック(後に日本リーグ・丸紅でプレイ)を獲得。
1988年、コーチKは自身二度目のファイナルフォー進出を果たします。が、ここではラリーブラウンとダニーマニング率いるカンザス大学がリベンジ。
続く’88年オフ、デュークに黄金時代をもたらす白人ビッグマンをニューヨーク州から獲得します。
1992バルセロナ五輪に学生として唯一出場した後のNBAプレイヤー、クリスチャンレイトナーです。
フェリーとスナイダーが4年生、レイトナーが1年生としてのぞんだコーチK三度目のファイナルフォー。
圧倒的有利と見られながら、準決勝で、今度はシートンホール大学に大逆転負け。
’89年にボビーハーリー(後のNBA選手。バッファロー→アリゾナステイトHC)をリクルートすると、1990年に3年連続のファイナルフォー。
ついにコーチKとデュークがNCAA初優勝かと思われた決勝戦、UNLV(ネバダ大学ラスベガス)に決勝史上最多30点差をつけられての大敗。
リクルートに成功→チームの好成績とメディア注目度増 → 有望高校選手の興味増
という強豪プログラムの好循環をついに手に入れたコーチKとデュークですが、”優勝には縁がない”とささやかれます。
*レイトナーと同期のクラウフォードパーマーは後にアイビーリーグのダートマス大学に転校。フランスに帰化し、2000年シドニー五輪でフランス代表として銀メダルを手にしています。
初優勝、2連覇!初期の黄金時代
1990年決勝でデュークをコテンパンにやっつけたUNLVもまたリクルートで成功したチーム。
ラリージョンソンとステイシーオーグモンという最強タンデムを擁し、全米から選手を集めてきたラスベガスは誰もNBAへのアーリーエントリーをせず、2連覇を目指して大学に残りました。
よって、「デュークの優勝は今年もないだろう」。
これが一般的な見方でした。
レイトナー、ハーリーに続く大きなリクルートはグラントヒルでしょう。イェール大学卒でNFLのスター選手だったカルビンヒルを父に持つサラブレッド、グラントヒルは1年生ながらスターター。チームに大きく貢献します。
ファイナルフォー準決勝で再びUNLVと激突したデュークは、圧倒的不利とされながらもレイトナー、ハーリー、そしてヒルらの活躍で世紀の一大アップセット。
*グラントヒルの同期、アントニオラングはNBAでの選手生活を経て来日。三菱電機(現名古屋ダイヤモンドドルフィンズ)で選手、コーチとして活躍後、現在はNBAユタジャズでスナイダーの下アシスタントコーチをつとめる。
*クリスコリンズは元NBAコーチのダグコリンズの息子。デュークでのアシスタントを経て、現在ノースウェスタン大学HC。今年、同校初のNCAAトーナメント出場に導く。
*ジェフケイペルは現デュークのアソシエイトヘッドコーチ。VCU→オクラホマでHCをつとめ、オクラホマでブレイクグリフィンをリクルート。コーチKの後継者候補ナンバーワンとされる。
天国から地獄
絶頂を極め、このままコーチKとデュークの全盛期がくると思われた翌1994-1995シーズン。
コーチKが病に倒れます。
序盤の12ゲームのみ指揮した後、全休。
絶対的な指導者を失ったデュークはまさかのACC最下位。NCAAトーナメント出場はおろか、NITにさえ呼ばれず、ポストシーズン無しという成績で、白人ビッグマン、チェロキーパークスのカレッジキャリアは終わりました。
翌1995-96、コーチKは復帰しますが20勝にとどかず。
第8シードというコーチKの下では最低の評価でのぞんだNCAAトーナメントも、1回戦でアールボイキンスを擁したイースタンミシガンにアップセットを食らいます。
ここでクリスコリンズのキャリアが終了。彼も不遇のシーズンを過ごしたと言えます。
1997年は20勝に到達しますが、NCAAトーナメントでは2回戦で敗退。
オースティンクロージャやゴッドシャムゴッドを擁した10位シード、プロビデンス大学によるアップセットでした。
リクルート、リクルート
この1997年オフ。デュークは他校を震え上がらせるリクルートを行います。
エルトンブランド、シェーンバティエにクリスバージャスという、全米トップクラスの選手を3人一気にリクルート。チームも4年ぶりにエリート8まで駒を進めました。
翌年にコリーマゲッティをシカゴから獲ったデュークは1999年にNCAA準優勝。
さらにカルロスブーザー、ジェイウィリアムス、マイクダンリービーにケイシーサンダースと、今度は4人のオールアメリカン、さらにクリスデュホンを加えたコーチKとデュークは、2001年に10年ぶりとなるNCAA優勝を果たします。
このあたりからコーチKのリクルートと”選手の扱い”に大きな変化が見えるようになります。
コーチKが「絶対に認めない」と公言していたNBAへのアーリーエントリーを、ブランドと、同期のウィリアムエイブリーが敢行。
翌1999年のNBAドラフトでは、なんと1年生でのエントリー(ONE&DONE)を、マゲッティが行使します。
悪く言えば勝利至上主義。良く言えば時代にアジャスト。いずれにしても、この時期もコーチKのキャリアにおけるターニングポイントであったはずです。
デューク大学バスケットボールのリクルートは止まらない
21世紀に入ってからも、コーチKとデュークはリクルートに精を出します。
2010年に続き、2015年には獲得した1年生がカレッジ界を制圧。コーチKに5度目のタイトルをもたらしています。
リクルートはNCAAバスケットボールコーチの仕事において重要。最重要とされることも珍しくありません。
コーチKとデュークに限らず、NCAAタイトルがリクルートによってもたらされていることも間違いありません。
ただ一方で、リクルートだけでは勝てないことも事実。
前の投稿で書いた通り、つい先日、シアトルの名門ワシントン大学のヘッドコーチ、ロレンゾロマーが解雇されました。今秋、マイケルポーターJrという、2018年のNBAドラフトで上位指名が予想される選手のリクルートに成功しながら・・・のことです。
コーチKと、例えばロマーのようなコーチと何が違うのか。
なぜコーチKとデューク大学は成功できるのか。
集めるだけでなく、チームとして結果を出す。出し続ける。
優秀な人間をまとめ、動かす。
この面において、NBAのスター選手を揃えて、オリンピック3連覇を果たしたコーチKの能力は際立っていると言えます。
コーチKがバスケットボール日本代表を率いたら?
その実績から、コーチKが現役世界ナンバーワンコーチであることは間違いないでしょう。
ではコーチKが例えば日本代表を率いたら?
アジアを制し、世界の強豪の仲間入りができるか。
これはこれで別問題であることがバスケットボールの面白いところだと思います。(まぁコーチKが実際に指揮を執ったら、相当強くはなるんだとも思いますが。。。)
サイズ、フィジカル、運動能力。全ての面において「世界」には劣る日本人選手を束ね、勝たせる。
この問題解決には、別に適任者がいると考えます。