NCAAカレッジバスケットボール・ディビジョン1には、「マイアミ大学が2つあります」。
マイアミ(フロリダ)大学と、マイアミ(オハイオ)大学です。
知名度では圧倒的に”フロリダ”でしょう。5度の全米制覇を誇る、もともとはフットボール校ですが、2011年にヘッドコーチに就いたジムララナーガによりバスケットボールも躍進。2023年にはついに初のファイナルフォー進出を果たしました。
しかし・・・今季2025-2026シーズン、それなりに好調なマイアミ(フロリダ)を全く目立たなくしてしまっているのはマイアミ(オハイオ)です!
この投稿時点で24勝0敗!ディビジョン唯一の、全勝校!
マイアミ大学(オハイオ州)(Miami University)概要
| タイプ | 公立 |
| ロケーション | オハイオ州オックスフォード |
マイアミ川、そして先住民マイアミ族に因む。フロリダ州のマイアミよりも知名度では劣るものの「先輩」はこちら。ニックネームも元々は”レッドスキンズ”だったが、1997年に改称。
パブリックアイビーと呼ばれる、公立の名門好大学群の一つに数えられる。(他にはバーモント大学、ウィリアム&メアリ大学、バージニア大学、ノースカロライナ大学、ミシガン大学、テキサス大学、カリフォルニア大学各校)
| ニックネーム | レッドホークス(RedHawks) |
| チームカラー・スクールカラー | レッド、ホワイト |
| カンファレンス | MAC(ミッドアメリカンカンファレンス) |
| バスケットボールアリーナ | ミレットホール(10,000人収容) |
| フットボールスタジアム | イェーガースタジアム(24,000人収容) |
| オフィシャルサプライヤー | アディダス*2026年1月時点 |
マイアミ(オハイオ州)大学のバスケットボール
ワンビッドリーグ(NCAAトーナメント出場枠が1つのカンファレンス)所属ながら、17回のビッグダンスは立派の一言。
最高成績は4度のスウィートシックスティーン。
マイアミ(オハイオ州)大学出身のNBA・Bリーグ選手
最も有名なのはロンハーパー。
ブルズとレイカーズでNBA優勝経験のあるハーパーは、マイアミ(オハイオ)大学時代の1985年夏、神戸ユニバーシアードで来日。チームUSAのエースとして、決勝でアルビダスサボニスらを擁した旧ソ連と歴史に残る激戦を演じ、銀メダルに導きました。
最近は息子のディランハーパーが注目を集めています。
続いてウォーリーザービアック。
ハーパーの34番ともども、そのジャージー(32番)がマイアミ(オハイオ)大学の永久欠番となっている彼はスペインのマドリッド生まれ。ジョージワシントン大学出身の父ウォルトが、レアルマドリッドでプレイした時期に誕生したからです。
そしてジュリアンマブンガ。初期のBリーグレジェンドと呼べるマブンガも、ハーパー、ザービアックとはタイプが違く、素晴らしいオールラウンダーでした。
無敗!マイアミ(オハイオ)を率いるトラビススティール
さて、今季のマイアミ(オハイオ)躍進を語るうえで不可欠な存在はもちろんヘッドコーチ。
トラビススティールです。
インディアナポリスのバトラー大学出身のスティールは、学生時代にコーチングをスタート。※同時期に同校アシスタントコーチを務めたのがブラッドスティーブンス。
地元の強豪ベンデイビスハイスクール(Bリーグで活躍中の、アーロンヘンリーの母校)を率いた後、オハイオ州シンシナティのバスケットボール校・ゼイビアでヘッドコーチデビューしました。しかし・・・
以下、いくつかの記事やポッドキャストをまとめました。
ミッドメジャーの「奇跡」
現代の大学バスケットボール界は、巨額のNILマネーと、選手が頻繁に転校を繰り返す「トランスファーポータル」の奔流に飲み込まれています。資金力のあるパワーカンファレンスの強豪校、いわゆるハイメジャー校が有利とされるこの「ハイパーポータル時代」において、、、全米の熱視線を集める異例の現象が起きています。
オハイオ州のミッドメジャー校、マイアミ大学レッドホークス。彼らは開幕20連勝という歴史的快挙を成し遂げ、現在は24勝0敗という驚異的な記録を更新し続けています。1990年以降、いわゆる「真のミッドメジャー」で開幕20連勝を飾ったのは、2014年のウィチタステイト大や2004年のセントジョセフ大など、わずか6チームしか存在しません。なぜ、無名の彼らが「マーチマッドネス(March Madness)」の主役に躍り出ようとしているのか。そこには、効率的なデータ分析と人間味あふれる組織論が融合した、現代バスケットボールへのアンチテーゼがありました。
「傭兵」を拒み、「継続性」に賭けた戦略的勝利
多くのコーチが即戦力を求めてポータル市場に走る中、トラビススティールが選んだのは、現代のトレンドとは対極にある「育成と維持」のモデルでした。彼は昨シーズンの主力ローテーション選手7人を残留させただけでなく、スタッフを含む25人もの関係者を組織内に留め、驚異的な「組織の安定性」を確保しました。
特筆すべきは、今季新たに加わった移籍選手がわずか1名であるという事実です。スティールは「Identity is connectivity(アイデンティティとは繋がりである)」と説き、多額の資金で集められた「傭兵」による急造チームにはない、深い信頼関係を構築。
「我々が選手をここに連れてきたのには理由がある。彼らは高校時代にタイトルを勝ち取った経験を持つ勝者たちだ。ポータルやNILが支配する今日において、継続性こそがすべてだと思う。他のコーチが言うところの『傭兵(mercenaries)』は、我々には存在しない」 — トラビス・スティール
トラビススティール~挫折からつかんだ「全権掌握」の再起
この快進撃のタクトを振るうのは、かつてゼイビア大学で解任という辛酸をなめたトラビススティール。2022年、彼はゼイビア大の指揮官として1970年代以降で初めて「任期中に一度もNCAAトーナメントへ導けなかったヘッドコーチ」という不名誉なレッテルを貼られました。しかし、解任からわずか2週間後、彼はマイアミ(オハイオ)大の再建を託されます。
スティールは過去の失敗から学び、マイアミ(オハイオ)大のAD(アスレティックディレクター、体育局長)に対し、自身のビジョンを完遂するための「全権掌握(carte blanche)」を条件に提示しました。彼はゼイビア大時代と同じシンシナティの自宅に住み続け、オックスフォードへの長い通勤路を走りながら、自らの「非妥協的なカルチャー」をチームに浸透させました。かつての失敗が、今の「誰にも左右されない確固たる信念」を生んだのです。
絶体絶命の淵で証明された「不屈の精神」
20連勝への道のりは、決して平坦ではありませんでした。バッファロー戦(105-102)とケントステイト戦(107-101)では、2試合連続で100失点以上を許しながらも、オーバータイムの激闘を制しました。2試合連続で100点以上を奪い合って勝利するのは、このプログラムにとって実に39年ぶりでした。
さらに、正ポイントガードのイバンイプサロを怪我(ACL断裂)で欠くという危機に際し、大学で一度もポイントガードを経験したことがなかったルークスカルジャックが代役として覚醒。エースのピータースーダーや、得点源のブラントバイヤーズ(2年生フォワード)と共に、土壇場で驚異的な集中力を発揮しました。
「我々の選手たちは動じない(unflappable)。タイムアウトの輪の中にいれば、自分たちが必ず勝つという絶対的な信念が伝わってくる。どんな状況であれ、彼らは大きな場面ほど結束を固くするんだ」 — トラビス・スティール
歴史に名を刻む「超効率的」なマルチオフェンス
データが示すマイアミ(オハイオ)の攻撃力は、もはやミッドメジャーの枠を越えています。eFG%は60.4%で全米1位。平均94.6得点を記録し、開幕から20試合連続で75得点以上を挙げて全勝という記録を達成しました。過去40年間でこれに並ぶのは、1990-91シーズンのUNLVや1998-99シーズンのデューク大といった、伝説的なエリート校のみです。
特筆すべきは「攻撃の多角化」です。昨シーズンの彼らは3ポイントに依存し、フリースロー獲得率は全米339位と低迷していました。しかし今季は「ペイントタッチ」を徹底。フリースロー獲得率を全米165位まで劇的に向上させ、高精度の外角と効率的なインサイドを融合させた、歴史的な「超効率オフェンス」を完成させました。
結果ではなく「軌道(Trajectory)に執着する哲学
マイアミ(オハイオ)大が所属するMAC(ミッドアメリカンカンファレンス)は、リーグ優勝しなければ本大会出場が絶望的な「1枠(one-bid)」リーグの厳しさを抱えています。一回の負けが全てを無に帰すプレッシャーの中で、スティールは選手たちに「結果(連勝記録)を忘れること」を求めています。
彼のデスクには、「結果を気にするな。軌道(Trajectory)に執着せよ」という言葉が掲げられています。この哲学に基づき、選手たちは毎日のビデオセッション、ウェイトトレーニング、そして練習という「プロセス」そのものを愛する文化を築きました。全勝という数字に浮足立つことなく、常に右肩上がりの成長曲線を描くことだけに集中する。この「軌道への執着」こそが、MACの過酷なトーナメントを勝ち抜くための唯一の武器なのです。
現在24勝0敗。彼らは3月に、真に歴史を塗り替える存在になるのでしょうか。それとも、「1枠」の重圧に屈するのでしょうか。
1敗した方が楽になる気も。。。
トラビススティール。彼もまた、数年前にESPNが選んだ若手エリートコーチの一人でした。