*ジョンシャイヤー次期ヘッドコーチの会見について追記しました。
デューク大学のコーチKが来季での引退を表明
ノースカロライナ大学のロイウィリアムズに続き、殿堂入りコーチが引退を表明です。
時折、涙ぐみ、
”Opportunity(機会を与えてくれた)”と”Believe in(信じてくれた)”という言葉を繰り返しました。
アーミー(陸軍士官学校)選手時代と、インディアナ大学アシスタントコーチ時代の師匠、ボブナイトのほかに、3人の名前をあげながら。
以前も書きましたが、コーチKのデューク着任(1980年)はじめの3シーズンは、うまくいきませんでした。
38勝47敗。
デュークはコーチKが来る前から強豪校でしたので、コーチK解任は自然な流れ。
これを抑え、コーチKを信じ、続投させたのが、長らくデューク大学のアスレティックディレクターを務めたバターズでした。
4季目に24勝10敗。6季目には初のファイナルフォー、そして準優勝(1986年)。
グラントヒルやアントニオラングらを擁し、NCAA準優勝を果たした1994年(優勝はアーカンソー)。
翌シーズン、コーチKは病に倒れます。
デュークはこの1994-1995シーズン、屈辱のACCカンファレンス最下位。もちろんポストシーズンなし。
コーチKは「辞めるつもりでいた」と語っています。
これを慰留し、リハビリさえも手伝ったとされるのが、当時のデューク大学学長(プレジデント)のブロディ。
コーチKは翌1995-1996シーズンに復帰。
以降、24年連続NCAAトーナメント出場を果たし、誰もが認める”世界一のバスケットボールコーチ”となりました。
*2020年はコロナによりポストシーズン中止。そして今年、2021年は出場を逃しました(13勝11敗)。
上の動画にある会見で、「2006年、東京(正確にはさいたま)での世界選手権。アメリカ代表ヘッドコーチとして臨みながら、準決勝でギリシャに敗れた日。あれがワーストデイ。コーチ人生で最悪の日だった。」「どう戦っていいのか、全くわかっていなかった。」
「ゲーム後、コランジェロに謝りにいった。彼は『よくやった』と。」
コーチKの、アメリカ代表ヘッドコーチとしての戦績(2005年の着任以降)↓
主なイベント | 勝敗 | 結果 |
2016リオデジャネイロオリンピック | 8-0 | 優勝(金メダル) |
2014ワールドカップ@スペイン | 9-0 | 優勝(金メダル) |
2012ロンドンオリンピック | 8-0 | 優勝(金メダル) |
2010世界選手権@トルコ | 9-0 | 優勝(金メダル) |
2008北京オリンピック | 8-0 | 優勝(金メダル) |
2006世界選手権@日本 | 8-1 | 3位(銅メダル) |
コーチKの全戦績(NCAA)
ナンバーワンコーチです。
シーズン | スクール | 勝数 | 負数 | APファイナルランク | Notes |
1975-76 | アーミー | 11 | 14 | ||
1976-77 | アーミー | 20 | 8 | ||
1977-78 | アーミー | 19 | 9 | ||
1978-79 | アーミー | 14 | 11 | ||
1979-80 | アーミー | 9 | 17 | ||
1980-81 | デューク | 17 | 13 | ||
1981-82 | デューク | 10 | 17 | ||
1982-83 | デューク | 11 | 17 | ||
1983-84 | デューク | 24 | 10 | 14 | |
1984-85 | デューク | 23 | 8 | 10 | |
1985-86 | デューク | 37 | 3 | 1 | 準優勝 |
1986-87 | デューク | 24 | 9 | 17 | |
1987-88 | デューク | 28 | 7 | 5 | ファイナルフォー |
1988-89 | デューク | 28 | 8 | 9 | ファイナルフォー |
1989-90 | デューク | 29 | 9 | 15 | 準優勝 |
1990-91 | デューク | 32 | 7 | 6 | 優勝 |
1991-92 | デューク | 34 | 2 | 1 | 優勝 |
1992-93 | デューク | 24 | 8 | 10 | |
1993-94 | デューク | 28 | 6 | 6 | 準優勝 |
1994-95 | デューク | 9 | 3 | ||
1995-96 | デューク | 18 | 13 | ||
1996-97 | デューク | 24 | 9 | 8 | |
1997-98 | デューク | 32 | 4 | 3 | |
1998-99 | デューク | 37 | 2 | 1 | 準優勝 |
1999-00 | デューク | 29 | 5 | 1 | |
2000-01 | デューク | 35 | 4 | 1 | 優勝 |
2001-02 | デューク | 31 | 4 | 1 | |
2002-03 | デューク | 26 | 7 | 7 | |
2003-04 | デューク | 31 | 6 | 6 | ファイナルフォー |
2004-05 | デューク | 27 | 6 | 3 | |
2005-06 | デューク | 32 | 4 | 1 | |
2006-07 | デューク | 22 | 11 | ||
2007-08 | デューク | 28 | 6 | 9 | |
2008-09 | デューク | 30 | 7 | 6 | |
2009-10 | デューク | 35 | 5 | 3 | 優勝 |
2010-11 | デューク | 32 | 5 | 3 | |
2011-12 | デューク | 27 | 7 | 8 | |
2012-13 | デューク | 30 | 6 | 6 | |
2013-14 | デューク | 26 | 9 | 8 | |
2014-15 | デューク | 35 | 4 | 4 | 優勝 |
2015-16 | デューク | 25 | 11 | 19 | |
2016-17 | デューク | 28 | 9 | 7 | |
2017-18 | デューク | 29 | 8 | 9 | |
2018-19 | デューク | 32 | 6 | 1 | |
2019-20 | デューク | 25 | 6 | 11 | |
2020-21 | デューク | 13 | 11 | ||
1975-2021 | 合計 | 1170 | 361 | ||
アーミー合計 | 73 | 59 | |||
デューク合計 | 1097 | 302 |
コーチKの後継者、次期デューク大学ヘッドコーチは?
ディーンスミス後のノースカロライナ、ルートオルソン後のアリゾナ、そしてジョントンプソン後のジョージタウン・・・
偉大なコーチの後継は、うまくいかないのが一般的です。
デューク大学がコーチKの後任に指名したのは、
現アソシエイトヘッドコーチ(トップアシスタント)で、コーチKと同じく、シカゴエリアの出身。
もちろん(?)デュークOBの元選手。
わずか33歳。
誰もが「うまくいくはずがない」と言っています。
「誰がやってもうまくいかない」と思います。
ロイウィリアムズの後継に、ヒューバートデイビスを選んだノースカロライナと同じく、”身内”から選出する特別なプログラム、DUKE BASKETBALL。
UNCとは異なり、1年前にコーチKの引退をアナウンスし、次期HCを発表したデューク。
スムースかつ、強力な後継は、実現するでしょうか?
それにしても若い。
2010年に、NCAA制覇したチームのガード。(決勝の相手はブラッドスティーブンスが率いたバトラーでした)
シカゴ北郊外の、グレンブルックノース高校出身で、高校コーチがデイビッドウェバー。現カンザスステイトHCのブルースウェバーの弟であり、当時ブルースが地元イリノイ大学HCであったことから、シャイヤーはイリノイ進学が噂されていました。が、当時のデュークにはアシスタントにクリスコリンズ。ダグコリンズの息子クリスもまた、同高校出身で、シャイヤーを強く勧誘。結局、シャイヤーはデュークに進みました。*コリンズもコーチKの後継者の有力候補で、現在はグレンブルックノース近くのディビジョン1、ノースウェスターンのヘッドコーチ。
昨日のことのようです。
いまや、多くの選手をリクルートする側のシャイヤー。
彼もまた、”Opportunity(機会を与えてくれた)”という言葉を使いました。
下記、新アスレティックディレクターとのコンビに注目です。
<後記>
デューク大学は、コーチKの引退発表に先立ち、アスレティックディレクターの交代も発表していました。
ケビンホワイト(フロリダ大学ヘッドコーチ、マイクホワイトの父親)から、ニーナキング。
デューク大学史上初となる黒人女性のADで、パワー5スクール(ACC、ビッグテン、ビッグ12、SEC、パック12)では3人目となるそうです。
ノースカロライナファンの私としては、コーチKほどうっとうしい存在はありませんでした(笑)。
最後のシーズン、2021-2022。ファイナルフォー進出くらいは許します(笑)。
⇒懐かしい!!
⇒寂しい。。。