体験
10代の時に、初めて訪れたハワイでピックアップゲーム(ホノルル、5on5)に参加しました。
オフェンスでパスを出した際、味方の1人(黒人)が「アホか!自分でシュートしろ!このジャップめ!」と怒鳴ってきました。
びっくりしました。
アシスト自体も我ながら良いパスだと思いましたし、その言葉が差別用語であることは知っていましたので。
どうも、”無駄に体をぶつけあうことが暗黙のルールになっている”ようだと察しましたので、次は自分で無理やりフィニッシュに持ち込みました。運よく、バスケットカウント。
先ほどの黒人が「それでいいんだ!ジャップ!」
「ええんかい。。。」
彼は罵るときも称えるときも、日本人のことを”ジャップ”と呼びました。
蔑称であることを、知らないようでした。
差別とは、無知が生んでいるものだと思います。
20代の時。南部ジョージア州。
アトランタからアセンスに、車で、SECカンファレンスのゲームを見に行きました。
ガソリンスタンドで給油。カリフォルニアなどと違って、南部はポストペイ(後払い。今は違いますか?)。支払いに行くと、従業員がいわゆる”ワンオペ”で、レジに行列ができていました。イライラしていたようなその従業員(白人男性)は僕を見ると、「おいおい、ブラックだけでもうっとうしいのに、今日はイエローも来るのかよ。まったく・・・」と、割と大きな声で言いました。
びっくりしました。
差別、被差別に全く慣れていない僕は、ただただ驚くことしかできませんでした。
何度か渡米する中で、似たようなことはけっこうあったと思いますが、詳しくは思い出せません。危害を加えられたことはありません。
たかがしれている、体験だと思います。
ノースカロライナ
大変有難く、幸運なことに、1996年にチャペルヒルのノースカロライナ大学、ディーンEスミスセンター内にあるバスケットボールオフィスを訪問させていただきました。
今は亡き名将、ディーンスミスには何名かの秘書がいて、そのうちのお2人(ともに白人女性)とおしゃべりをしていた時、南部、ノースカロライナ州における黒人差別の話になりました。
*”コットンベルト”の東端、ノースカロライナ州は綿花生産が盛ん。Tシャツで有名な、Hanes(ヘインズ)の本拠はウィンストンセーラムにあります。
秘書の1人は、「もう今は”そんなこと”をしてはいけないの。」
もう1人(筆頭秘書。スミスコーチの事務方の右腕と呼ばれた方。)は、この話題の時だけは微笑みを浮かべているだけでした。
誰が見ても、そのオーラからですら聡明とわかる、この筆頭秘書の方はお話も大変上手な人物でしたが、この時だけは何も言葉を発せず、ただ微笑むだけでした。
何か、超越されているような、「差別なんてものは無くて当たり前」とでもいうような、微笑んでいるだけでその場が神聖な空気となる、素敵な方でした。
この翌年、ディーンスミスが引退。
以下は、スミスの教え子の1人、チャーリースコット(1966年にスミスがリクルートした、ACC初の黒人アスリート)が、スポーツイラストレイテッドに寄せた言葉です。
"Coach Smith was always there for me, " Scott told Sports Illustrated. "On one occasion, as we walked off the court following a game at South Carolina, one of their fans called me a 'big, black baboon.' Two assistants had to hold Coach Smith back from going after the guy. It was the first time I had ever seen Coach Smith visibly upset."
「スミスコーチはいつも私の味方でした。」「ある時、サウスカロライナでのゲーム後にコートの傍を歩いていると、敵のファンの1人が私に向かって”デカい黒んぼ!”と叫びました。2人のアシスタントコーチが、この男に向かっていくスミスコーチを引き留めなければなりませんでした。これほど激怒するコーチを見たのは、これが初めてでした。」
1997年のスポイラ
UNCのOB、ジョージリンチについて書いた投稿です→こちら
無知でいないこと
相手の肌の色を問わず、アメリカ人と差別の事を話すことは稀でした。
特に黒人の方は、「口を出すな。お前ら(日本人、アジア人)なんかに何がわかる。」
ただ何となく、、、そう思われているのではないかと決めつけていました。
きっかけがあるごとに読み返す本があります。
猿谷要さんの著書です。
絶版も多い中、少しずつ古書などを買い足してきました。その中で、すっかり買うのを忘れていた作品、「アトランタ(世界の都市の物語)」を先日注文。早速、読み始めました。
冒頭。1994年、当時の天皇陛下夫妻がアトランタを訪問するエピソードから始まります。
南部でもっとも影響力のある「アトランタ・ジャーナル/コンスティテューション」紙によれば、キング牧師と一緒に公民権運動を闘ってきたホゼイアウィリアムズが、天皇の前に進み出て握手をし、「日本人はアフリカ系アメリカ人(黒人)を蔑視しています」と述べたというのである。
-中略-
(ウィリアムズが)「日本は世界でもっとも差別をする国の一つだ」とのべていることを伝え、大勢の日本人記者が同行していたにもかかわらず、「日本は基本的にメディアがこの事件を無視した。・・・日本人はこういう事を見たり聞いたりしたくはないのだ」と書いている。
”アトランタ”猿谷要著より要約して抜粋
僕は無知でした。間違った思い込みをしていたのかもしれません。
彼ら、アフリカ系アメリカ人は、「日本人ももっと関心を向けろよ!」とずっと言いたかったのかもしれません。
エリックレベノさん。
ノースカロライナ大学と同じ、ACCカンファレンスに属するアトランタの名門校、ジョージアテックのアソシエイトヘッドコーチ。スタンフォード大学出身で、卒業後には日本でもプレイ。ポートランド大学ヘッドコーチ時代には、伊藤大司選手を指導。ジョージアテックではシェーファーアヴィ幸樹選手も教え子でした。
#AllVoteNoPlay
「11月3日の大統領選投票日(一般投票。選挙人による投票はその後。)は、NCAAアスリートとしての活動を一切行わず、皆、投票に行こう」
不思議と日本に縁のあるレベノさんが今、大きな行動を起こしています。