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日本のバスケットボール振り返り①-日本バスケットボールの歴史

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日本の、日本代表のバスケットボールについて、その環境や選手はどのように変わってきたのでしょうか。
Bリーグ1年目のシーズンも大詰めの今、個人的な目で振り返ってみたいと思います。*なお、今回は男子についてのみ。

   

日本バスケットボールの歴史

   

草創期-1932年

   

1891年12月21日、マサチューセッツ州スプリングフィールド。ジェームス・ネイスミスが考案したバスケットボールというスポーツの、初めてのゲームでプレイした日本人、石川源三郎は帰国後、日本でバスケットボールを伝えようとしなかったのは有名な話です。


同じく、国際YMCAトレーニングスクール(International YMCA Training School、現在のスプリングフィールドカレッジ)出身の日本人、大森兵蔵が帰国後の1908年からバスケットボールを日本に紹介しようとしたらしいのですが、これも時期尚早。本格的に広がったのは、 F・Hブラウンを招聘した1913年以降だそうです。


その後、バスケットボールの誕生から30年経った1921年、第1回全日本選手権(オールジャパンの前身)が開催されています。


さらにその約10年後に日本協会が発足。そしてヨーロッパでFIBAが立ち上がったのと同じ1932年、現在BリーグB3に属する、東京海上日動ビッグブルーの前身、東京海上のバスケットボールチームが創部。現在のトップチームの中では最も歴史があるクラブと言えるでしょう。

   

   

オリンピック初出場-1950年まで

   

オリンピック出場から遠ざかっている現在の男子日本代表ですが、バスッケットボールが正式種目となった1936年ベルリン五輪にあっさり出場を果たしています。とは言え、アジアからフィリピン、中国とともに3国出場。現在のような予選の存在はなく、出場へのハードルは大変低かったようです。

東京海上の創部からわずかに遅れ、現在のサンロッカーズ渋谷の前身、日立が創部。残念ながら休部となりましたが、長きに渡って日本のバスケットボール界を牽引した日本鉱業と日本鋼管、三井生命に続き、現在の日本バスケットボール界のリーダー、アルバクルク東京の前身トヨタと、シーフォース三河の前身、アイシンのバスケットボールチームがここで誕生。*やはり休部した、ヂーゼルは後にゼクセルと改称。現在のボッシュ。

1950年、日本代表の新ヘッドコーチ、フリオ・ラマス氏の母国アルゼンチンで開催され、アルゼンチンが優勝した第1回世界選手権。アジア連盟が結成されておらず、アジアからの出場はなかったようです。

   

   

第3回アジア選手権で優勝!-1965年まで

   

   

1949年、リーグが合併して誕生した現在のNBA。この同時期に、日本国内で多くの企業チームが誕生しています。やはり廃部となってしまったチームも多いですが、1957年に現在のB2所属、FE名古屋の前身である豊田通商バスケットボール部が発足。続いて1965年、現在のB1三遠ネオフェニックスの前身、オーエスジーが創部。

振り返れば、この頃が男子日本代表の全盛期だったのかもしれません。1964東京五輪まで3回連続でオリンピック出場。1965年、2回目の出場となった第3回アジア選手権でフィリピンをやぶり、初優勝を果たしています。*ただし、1949年に中華人民共和国となった中国が、政治的理由で1958年にFIBAを脱退。アジア選手権にも出場せず。

   

   

最後のオリンピック出場-1976年まで

   

中国不在の中、世界大会常連国にしてアジアのリーダー国だった日本は、1967年に実業団リーグがスタート。既存の7チームに加え、同年創部の新日鉄を加えた8チームが参加。この”オリジナルエイト”とも呼ばれるべきチームはしかし、東京海上を除いた全チームが後に休部に追い込まれます。

上記の通り、日本代表は1971年、東京でのアジア選手権優勝。これにより、翌1972年のミュンヘン五輪出場。
つづく1976年モントリオール五輪は、これまでのところ日本男子代表が出場した最後のオリンピック。ただし、台湾出場との絡みで中国がボイコット。

   

   

バスケットボール「世界化」へ-1992年まで

   

1971年に国連復帰した中国を、1974年にFIBAとIOCが再承認。以降、日本は中国に歯が立たなくなり、アジア選手権優勝は1971年が最後。1988年にソウル五輪を開催した韓国にも抜かれる形となります。

一方で、NBAコミッショナーに着任したデイビッド・スターンと、FIBA事務総長のセルビア人、ボリスラフ・スタンコビッチがキーマンとなって、バスケットボールは世界的スポーツに認知されるように。そのピークは、ドリームチームが参加した1992年のバルセロナオリンピック。日本国内でも漫画「スラムダンク」の連載がスタート。”プロ化”には適した時期だったのかもしれませんが、バブル経済が終息に向かっていました。

   

   

国内リーグ世紀末-2000年まで

   

空前のバスケットボール人気(ただしNBAとスラムダンク限定)も、プロ化したのはサッカーで、Jリーグスタートの5年後、1998年W杯初出場。
同年、バスケットボール男子代表も、世界選手権に3回目の出場を果たしますが、経済不況のあおりを受けて、国内トップチームは続々休部。1967年の”オリジナルエイト”のうち6チームが休部。危機的状況に。ただそんな中、「必然的ではありますが」新潟や所沢(現埼玉)といった球団が誕生もしています。

   

   

国内リーグ分裂と、日本での世界選手権-2006年まで

   

*ここから時系列を”横”にします。チームの存亡をわかりやすくするため。

   

JBL”スーパーリーグ”スタートもプロ化は進まず、日本協会に業を煮やした一団が、初のプロバスケットボールリーグbjを設立。2005年スタート。国内トップリーグが分裂した翌年に日本で世界選手権開催。

   

   

Bリーグ誕生-2016年まで

   

リーグ分裂時代は多くのチーム存亡がありました。

1980年代以降の、バスケットボールというスポーツの世界的発展とは裏腹に、日本バスケットボールは混迷を続けました。
日本男子代表は、1976年のモントリオール五輪出場以降、継続的な成功を成し遂げることが出来ていません。次回は、日本代表のこれまでの戦績を中心に振り返ってみたいと思います。

*今回の投稿においては、こちらの書籍より多くを参考、引用させていただきました。私にとってのバイブルと言える本の一つです↓

   

   

   

また、一部ウィキペディアなどの情報も参考にしました。誤りなどございましたらご指摘いただけますと有難いです。
@tommy_ussports

   

続けて、ぜひお読みいただけましたら嬉しいです→日本のバスケットボール振り返り②-歴代日本代表の主な戦績と選手

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