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オーストラリアのスター選手、ジョシュギディーとNBAアカデミーと…

更新日:

※訳はもう少しシェイプします。。。

   

ジョシュギディー

気になっていた選手です。2021年のNBAドラフト予想で少し触れましたが、まさかここまで活躍するとは・・・

   

NBAアカデミー

気になっていた組織です。設立が2017年。わずか5年で、ジョシュギディーというNBAドラフト一巡目指名選手を輩出しました。

   

オーストラリア

バスケットボールにおいて、もう気にせずにはいられない国になりました。世界大会でずっと届かなかったメダルですが、昨年の東京オリンピックでついに!3位に入りました。

   

今回は、(知られざる)ジョシュギディーの経歴とNBAアカデミー、そしてオーストラリアのバスケットボールについて。

   

過去、オーストラリアのバスケットボールに絡んで何度か投稿しましたが、あらためてオーストラリアとアメリカメディアの記事を読み漁りました。

>テレンスファーガソンとオーストラリアNBL-NCAAとBリーグは?

>比江島慎選手がオーストラリアNBLへ!-日本人選手の海外リーグ挑戦

   

オーストラリアの若きスター、ジョシュギディー

まさかここまでとは・・・

   

以下、FOXスポーツオーストラリアの記事から抜粋↓

   

ジョシュギディーは、自分でも、これほど早い成功は思ってもみなかった。

それもそのはず、ギディがオーストラリアで初めて”州”(ビクトリア)代表チームに入り、その後あっという間にバスケットボールのエリート候補の1人となったのは、ちょうど2年前。

   

ただ一方で、ジョシュギディーの潜在能力の片鱗を感じていた人もいた。

   

その1人が、ジョシュギディーを8歳の時(2014年)から知る、ジュニアバスケットボールクラブ、メルボルンタイガースでアシスタントコーチを務める、フィルダーネール。

いまNBAの舞台で見られる、ジョシュギディーの落ち着きとコントロールは、以前からの特徴であった。

ダーネールは、初めてギディーがバスケットボールを手にしているのを見た時から、何か特別なものを感じていた。

当時まだ8歳だったギディは、メルボルン南東部にあるオークリーレクリエーションセンターのコートで、オーストラリアバスケットボールの伝説的存在である、アンドリューゲイズ(シートンホール大学で1989年NCAA準優勝に貢献。その後はNBLメルボルンタイガース(ユナイテッドの前身))で大活躍。)の息子メイソンの相手としてプレーしていた。

そのゲイズとともにNBLで2度優勝したのがウォリックギディーで、その時初めて息子ジョシュをダーネールに紹介した。

ジョシュギディーは、実際にトライアウトを受けたわけではなく、普通の8歳児がするように、ただボールを投げに来ただけだった。

しかし、彼のコート上での能力は、「普通の」8歳児とは到底思えないものであった。

それから10年以上経った今、ギディーはオークリーレクリエーションセンターにいた8歳の子供の頃とあまり変わらない自信と落ち着きを持って、NBAのコートに立っている。

   

しかし、この11年の間に多くのことが変わり、その道のりは決して平坦なものではなかった。

ギディにとってすべてが変わったのは、ほんの数年前のことだ。「いつのまにかNBAにいた」とダーネール。

   

ダーネールは、ギディが15歳の時から、将来はNBAに行く可能性があると信じていた。その時点ですでにアメリカの大学(NCAA)バスケットボールのコーチと連絡を取り始めていた彼は、幼い頃からギディーの可能性を見抜いていた唯一の人間ではなかった。

「彼は本当にいつも、ビッグプレーができると私たちの頭にあった」とは、タイガースのコーチングディレクターを15年ほど務めている、ニックアブディセビック。

   

「彼は8歳の時から信じられないようなパッサーだった」

毎試合、パスやプレーで、『すごいな、今のは見たのか』と思わせるものがあった」。

「クラシックファイナルやVJBLファイナルに行くと、ジョシュギディーを見て、次は何をするんだろうと、みんながしきりに話していたのを覚えている」。

   

元タイガースのチームメイト、パディトゥイッグ:「子供の頃、彼(ギディ)は運動神経に恵まれていなかった」。

「他のみんなと比べると、彼は遅咲きだった。他のみんなは彼より先にダンクしていたよ。」

しかし、

「彼のIQは、この世のものとは思えないほど高い」

   

2013年から2017年にかけて、タイガースはビクトリアジュニアバスケットボールリーグ(VJBL)で61勝1敗1分の成績を誇り、3つのチャンピオンシップを獲得。そして、その多くはギディによるものだった。

   

2019年6月、タイガースをU18ナショナルジュニアクラシック決勝に導いたとき、ジョシュギディーはまだ16歳だった。

その時点ですでにダーネールは、ギディを「NFLのチームに入れよう」と冗談で言っていたほど、狭い隙間からボールを絞り出す能力に長けていたのである。

シカゴブルズに106-101で敗れた試合で、2度目のトリプルダブルを達成した後、ギディーがNFLのクォーターバックのプレーを見るのがいかに好きかを口にしたほどだ。

3:15あたりから

近くの、OU(オクラホマ大学)のフットボール観戦にも行く、と。

   

"パスの出し方"、"特に(パトリック)マホームズのようなエリート "を参考に。

マホームズやNFLのエリートQBのように、ギディもまた、情報を高速で処理し、常に相手ディフェンスの2歩先を行く能力を生まれながらにして持っているのだ

   

国内最高峰のジュニアバスケットボール大会であるナショナルジュニアクラシックでは、64-62でスタート(Sturt、アデレード)に敗れたものの、ギディーはチーム最多の30得点をあげた。

そのわずか2カ月前、ギディーにはついに州代表としてプレーするチャンスが与えられ、タウンズビルで開催されたオーストラリアジュニア選手権でVICメトロチームを優勝へと導いた。

   

すでにNBAグローバルアカデミーとバスケットボールオーストラリアのセンターオブエクセレンス(COE)に合格しており、ギディーの歩みは順調だった

   

「すべてのドアが開き始めた。」とアブディセビッチ。

数年前までは手が届かないと思われていたNBAの夢が、突然目の前に迫ってきた。

しかし、ギディーはここで、バスケットボール人生の中で、最大の決断をしなければならなかった

   

ジョシュギディーは、TCU、ユタ、ワシントンステイト、ラトガース、コロラドといったNCAAディビジョン1の大学からオファーを受けていた。

2018年12月にアメリカに遠征した際に、ギディーが好印象を残したバージニア州のバージニア大学など、他の学校も興味を示していた。

ギディーが所属するタイガースの選手4人のうちの1人として、バージニア州に立ち寄ったツアーに参加し、若いオーストラリア人PGへの関心が急上昇する中、ダーネールの電話が「爆発」した。

当時16歳だったギディーは、当時バージニア州で2位の高校(特定できませんでしたが、全米トップレベルであることは間違いありません)と対戦しており、ダーネールは仕事の都合で渡米することができなかった。

「私は多くのコーチを知っているので、携帯電話は鳴りっぱなしだった」

   

(帯同した)ノースハーバーバスケットボールのヘッドコーチ、トレイシーカーペンターは、すぐにダーネールに電話をかけてきた。

「明日、トニーベネット(バージニア大学HC)に電話する。この子(ギディー)は、バージニア州のナンバー2の高校をボコボコにしたところだ 」

   

多くのコーチが、オーストラリアから来たこの恐れを知らない選手を欲しがった。

「舞台裏では、いろいろなことがあったんだ。」

「U18選手権では、スティーブナッシュのスキルコーチだったルーベンルナがいた。彼(ルーベン)はカリフォルニアで自分のアカデミーを運営しており、当時ウェイクフォレストでアシスタントコーチをしていたレックスウォルターズ(!)に連絡を取ってくれたんだ。」

ウォルターズ:「今、友達の家にいるんだけど、彼はハワイ大学のアシスタントコーチなんだ」

「この人たちのほとんどは、NBAでプレーした後、カレッジ(NCAA)でコーチをするために戻ってきた。みんな、ジョシュを早くスカウトしたいと言っていたよ」。

   

その後、Facebookに"Josh Giddey Fan Page"が誕生。これは、急増するギディーへの関心に対応するためにダーネールが立ち上げたものだった。

「私はNCAAスクールの扱い方を知っていたので、彼らがジョシュの携帯電話番号を手に入れたら、ジョシュは(あまりにも多くのリクルートの電話がかかってくるため)番号を変える必要があると思ったんだ。」

「そこで、Facebookのプライベートグループを立ち上げたんだ。私の裁量で、コーチをFacebookグループに招待して、『これが映像だ、これが詳細だ、親に電話する必要はない』と言うことができる。それが、すぐにジョシュギディーファンページになったんだ。」

   

しかし、NBLのCEOから電話がかかってくるなどオファーが殺到し、ギディーはコロラド大学かNBLか、という2つの選択肢を迫られることになった。

   

ダーネール、そしてギディーの最後の決断の根底にあるのは、一つの戒めだった。

   

ニュージーランドの若いバスケットボール選手として期待されていたタイワインヤードは、NBAの夢に一歩近づくためにケンタッキーに入学

しかし、UKワイルドキャッツでの2シーズンの出場時間はわずか97分。ゲームのペースに適応するのが難しく、ケガやチームバイオレーションも彼の出番に影響を与えた。

「彼はケンタッキーに行き、ベンチに座り、3年後に去っていった」とダーネール。

   

ワインヤード:「僕はプレーしなければならない。ベンチに座っているのは嫌だ。」

   

だから、私たちはそのことをとても意識していたんだ。

ギディーもまた、この決断がいかに重要かを理解し、的確な質問をしていた。

「ジョシュは多くを語らないが、とても計算高い男だ」

「フィル、どう思う?もし僕がNBLでプレーするとしたら、”育成”はごめんだ。ベンチに座っているのは嫌だ。」

「ジョシュはプレーしたがっており、ベンチに座るのを嫌ったんだ。」

   

NBLは、ギディがベンチから外れることを望まなかった。事実、彼はわずか17歳で、リーグ初のオーストラリア人”ネクストスター”として、アデレード36ersに入団することになったのである。

※過去、ラメロボールやRJハンプトン。>参照

このプログラムは、ギディーのような若い選手、つまりNBAへの道を急ごうとする選手、そうでなければNCAAカレッジバスケットボールに転向してしまうような選手を念頭に置いて設立された。

タイガースのチームメイトであるトゥイッグ:「大学の話もあって、彼はコロラドに行きたいと言っていた。でもNBLに決めたら、彼の目はNBAに一直線になったんだ。アデレードに行き、そのままNBAに行きたいと言っていた。」

「この国のベストプレーヤーと互角に戦えるとわかってから、彼の目はNBAに向けられたのだと思う。」

   

ギディーは10代で、大の大人を相手にプレーしていたのだ。しかし、それこそがNBLの魅力のひとつであり、よりフィジカルなリーグで自分を試すことができ、NBAの厳しさにも対応できるようになる機会だったのだ。

NBL2020-2021のルーキーオブザイヤーは、1試合平均10.9得点、7.3リバウンド、リーグトップの7.6アシストで、ギディーが受賞した。

「NBLでの活躍ぶりは、もちろんのこと、彼はただ夢中になっていた」とダーネール。

"彼はその考え方のおかげでNBAの準備ができていた"。

そしてNBAドラフトに備えるために、ギディーはNBLの伝説・ダリルマクドナルド(テキサスA&M出身のガードで、NBLでプレイ。引退後コーチとなり、現メルボルンユナイテッドAC。オーストラリア国籍取得済み。)に教えを請い、主にボールハンドリングとピック&ロールに取り組んだ。

マクドナルド:「彼のゲームはNBAのために作られた」

「ルカドンチッチのような選手のプレイを参考にしているんだ。ジョシュは同じようなスキルセットを持っている。」

   

あとは、NBAドラフトでギディーの名前が呼ばれるだけだった。

しかし、それでも、ダーネールでさえも、次に起こることを予想していた人はほとんどいなかった。

   

NBLでのシーズンを終えたギディーは、当初はNBAドラフト2巡目半ばの指名予想だったが、その後、ロッタリーピックで選ばれる可能性が高いとされていた。

   

しかし、まだギディーのゲームには疑問符がついていた。主にシューティングのメカニズムと、NBAでのディフェンスのフィジカルさにどう対処するかが問題だった。

しかし、タイガースのコーチングディレクターであるアブディセビックは、ギディーのディフェンスに関する評価に納得していなかった。

「彼は常に過小評価されているディフェンダーだった。」

   

これらの懸念はあったものの、メンフィス グリズリーズがヨナスバランチュナスをトレードに出し、7位指名権を獲得した後、ギディーがトップ10指名を受けることができるという声が大きくなった。

   

誰も予想しなかった衝撃的な動きで、オクラホマシティが全体6位でこのオーストラリア人をドラフト指名したのである。

   

「私たちは、ただただ驚かされた」(ダーネール)が、その後も驚きは続いた。

「その後、ウォリックをよく知るルークロングリーが、(シカゴブルズでのチームメイト)スティーブカー(ゴールデンステイトウォリアーズHC)にメールを送り、彼を獲得するように言っていたことがわかったんだ。それから、メンフィスが彼を欲しがっていることがわかった。アンドリューゲイズには、たくさんの電話がかかってきていた。すごいことだよ。」

   

そして現在、"ジョシュギディーファンページ”は”ジョシュギディーバスケットボールヒストリー”と改名されている。>>こちら(要承認)

   

「彼のメンタリティーは変わっていないよ」(ダーネール)

「今のジョシュを見て思うのは、君はこのために生まれてきたんだ、時間の問題だったんだ、ということだ。」

↑ここまで>FOXスポーツオーストラリア①

   

ダリルマクドナルドがジョシュギディーに初めて会ったのは、ずっと前のことだった。

マクドナルドに、ギディーがジュニア時代にやったプレーの中で特に印象に残っているものを尋ねると、いつも同じものをあげる。メルボルンの郊外にあるステイトバスケットボールセンターで開催されたU18選手権で、ギディーが所属するメルボルンタイガースはブリーンブーマーズと対戦していた。

ピック&ロールから、ギディが左エルボーからコートの反対側のコーナーにパスを放った。

右利きのギディだが、実はタイガースのシステムでプレーしていたため、左利きのドリブルが中心だったのである。

マクドナルドは、ギディが良い選手であることは聞いていたし、高校バスケットボールで対戦相手のコーチをしていたので、知ってもいたが、これは完全に別格だった。

「彼の年齢であんなことをする選手は見たことがない。その時、この子は何かを持っていると思ったんだ。」

その「何か」は、ギディーをNBAに導き、その後すぐに、リーグ史上最年少でトリプルダブルを記録した選手として、その歴史に刻まれることになった。

   

しかし、ありきたりな言葉だが、才能だけではここまでしかできないものだ。

   

ギディーのもう1つの顔がある。

マクドナルドの出番は、2020年、コロナによるロックダウンの際の、思いがけない電話から始まった。

マクドナルドがその電話に出ると、相手は彼の友人だった。

その友人は、ギディーのストレングスとコンディショニングの全てを一緒にやっていた。

常に前を向き、向上心に燃えるギディが、マクドナルドと一緒にワークアウトをしたいと言い出したのである。

「マジかよって感じだった。」(マクドナルド)

   

NBLのシーズンが終わると、再びマクドナルドの携帯電話が鳴り、今度はギディー本人からだった。

メルボルンに戻ってくることになり、NBAドラフトが間近に迫っていたギディーは、自分のゲームの弱点を解決するのに必死だった。

アメリカに出発する前の5週間、月曜日から金曜日まで90分間、Hoop Cityでマクドナルドと一緒にトレーニングに励んだ。

メルボルンユナイテッドのハイパフォーマンスマネージャー、ニックポポヴィッチとの朝のウェイトトレーニング、アンドリューゲイズとのシューティングトレーニングなど、すでに多忙なスケジュールの上に、このようなトレーニングが行われた。

「ボールハンドリングやピック&ロール、自らショットを打てるようになるための練習を多くした。」(マクドナルド)

   

「我々は、彼が他の選手のために何ができるかをわかっていた。」

(メルボルンタイガースの元チームメイト、リアムコンウェイ)

「彼はパスファーストのガード」

「若い頃から、彼はいつも喜んでパスを出す選手だった」

それは、父親のワズと(母親の)キムのおかげでもあるんだ。チームを第一に考えるメンタリティと、常にエキストラパスを出すこと。物心ついたときから、そう教えられてきたんだ。」

   

ギディーは完璧を求めるあまり、しばしば自分自身を酷評することもあったが、それが大切であることを理解していた。

ギディーのジュニアバスケットボール時代のアシスタントコーチ、ダーネールがそれを証明するメールを持っている。

   

フィリップダーネールはそのメールを削除しないのだが、それには理由がある。

彼はギディーが所属するジュニアバスケットボールクラブ、メルボルンタイガースのアシスタントコーチをボランティアで務める傍ら、フルタイムでシェフとして働き、携帯電話で注文を受けている。

※下の記事リンクに実際のメールの画面があります。

   

彼は私にメッセージを送ってきた。「僕はひどいプレーをした。」彼は自分にとても厳しいんだ。

   

数年前、18歳以下のトップエイジになるまでの間、州代表の座がかかっていたギディーは、ダーネールが「見たこともないような」トレーニングをしていたという。

「彼は、朝6時からいつでもトレーニングをしていた。」

ギディーはこの時点で代理人のダニエルモルドバンと契約しており、向上意欲は「もう1段上がっていた」。

   

コート上での彼の才能の影に隠れがちだが、その勤勉さは今日でも輝いており、ギディーがNBA初のトリプルダブルを達成した後、オクラホマシティサンダーのマイクウィルクス暫定コーチはその才能に賛辞を送っている。

「彼はグレートワーカーだ」。

「私は彼と多くの時間を過ごす。彼はスポンジのような存在だ。若い選手にしては賢いね。」

NBA史上最年少でトリプルダブルを達成した後も、ギディーの口癖は「次の勝利につながらなければ意味がない」だった。

むしろ、自分だけにスポットライトが当たらなくなったことに、何よりも安堵していた。

↑ここまで>FOXスポーツオーストラリア②

   

なぜそうなったかは誰も知らないが、そうなったのだ。ジョシュギディーが16歳になる前に、3度も同じことが起こった。

まだ州レベルのバスケットボールをするほどではない、と言われたのだ。

   

ロサンゼルスレイカーズのスーパースター、レブロンジェームズからすでに高い評価を得ている、あのジョシュギディーが、である。

わずか2年の間に、ギディーは自分の州代表チームにすら入れなかったのが、NBAドラフトトップ10で指名されるほどのブレイクを遂げたのだ

   

タイガースのアシスタントコーチであるフィルダーネールは、ギディーがU16州代表チームから外された後、車で帰宅するときのことを今でも覚えている。

「ジョシュは『フットサルに転向しよう』と考えていた。彼は本当にがっかりしていた。」

   

しかし、ギディーの心の奥底には燃え盛る炎があり、ダーネールいわく「肩の荷が下りた」状態であり、周囲が間違っていたことを証明するために彼をさらに追い込んでいった。

そして、それはコート上でも発揮された。

「彼は、まるで明日がないかのように練習してたよ。」(ダーネール)

9月までにタイガースは州選手権を制し、ギディーはMVPに選ばれた。

「まるで、自分を指名しなかったコーチ陣やビクトリア州バスケットボール協会に仕返しをしているようだった。」

そして、それは始まりに過ぎなかった。

   

金曜日の夜遅く、タイガースの試合が終わった23時頃、ダーネールの携帯電話が鳴った。ギディーが翌朝、メルボルンスポーツアンドアクアティック・センター(MSAC)でトレーニングをしたいというのだ。

「その時は、彼が何をしようとしているのかわからなかった。」(ダーネール)

州代表の選手たちが、同じ時間にMSACにトレーニングに来ていて、ギディーが彼らの向かいのコートでトレーニングするつもりだったのは、偶然ではなかったのだ。

メルボルンのオークリーでプレーしていたタムリウィグネス(現NBLブリスベン、2002年3月生まれ)が、1試合でタイガース相手に50点を入れたのだ。

「それで、彼のプレーを見に行ったというわけだ」(ダーネール)

   

次の瞬間には、AISのコーチが私に向かってきて、「ジョシュギディーを知ってるか?彼らは私にいろいろと質問してきた。怪我をしたのか、こうなのか、ああなのか、(身長は)6-3あるのか、なぜ州代表になれなかったのか、とかね。」

   

NBAドラフトで全体6位で指名されたギディーのような選手が、ほんの数年前までは州を代表するほどの選手ではないと思われていたのだから、理解できないことだろう。

しかし、彼が代表を逃したのには正当な理由があった。他の選手と比べて、ディフェンスやサイズに疑問があったのだ。

さらに、ギディーが才能に恵まれていたとしても、ビクトリア州は国内最高のバスケットボールの才能と層の厚さを誇っていることも忘れてはならない。

タイガースのコーチングディレクターであるニックアブディセビックは、クラブの誰もが、あの時点でギディーが州レベルまで行けるだけの「実力」があると感じていたという。

しかし、今にして思えば、なぜそのタイミングでなかったのか、彼にもわかる。

「体格に恵まれず、スピードも運動能力も劣っていたと思う。」(アブディセビッチ)

「他の同年代のガードは、当時はもう少し早く、もう少し強かった。」

   

新しいジョシュギディーが誕生しようとしていた。

   

ダーネールは、ギディーのゲームが、ニュージーランドの伝説的なバスケットボール選手、ペロキャメロンに匹敵するような、とめどない意欲によって、別の次元に進んでいくのを見た。

キャメロンは、ダーニールが高校時代に通っていたニュージーランドのセントジョンズカレッジの体育館で、フリースローを500本決めるまで、何百本も打ったという。

「私は、そういう人たちと一緒にいたことがあるんだ」(ダーネール)

「ジョシュは、それを持っている。ジョシュは、腹に火を灯しているんだ。」

   

ギディーがタイガースのセカンドチームを州大会の決勝まで導いたのは、アンドリューゲイズに逆らってでも、もっとプレー時間を増やそうとする大胆な行動に出たからだ。

ゲイズは、タイガース(現メルボルンユナイテッドの前身)のNBL第1期選手であり、ギディをボトムエイジの選手として16-1s(ファーストチーム)に送り込んだ。

しかし、ギディーにはそれがどういうことか分かっていた。「プレーしたい。彼らの後ろに座っているのは嫌だ。」

「他の連中は、もう少し大きくて、もう少し強かったんだ。」と、ダーネールは付け加えた。

それで、ギディは16-2s(セカンド)チームでプレーし、州大会の決勝まで導いたのだ。

「あれは、すべてジョシュがやったんだ。」(ダーネール)

「まともな子なら、あんなことはしない。」

   

ダーネール:「ある試合を覚えている。」「州代表チームに入れなかった時だ。メルボルンでは年上の選手と対戦させるので、練習試合の回数が多くなると、彼がコートに残ることになるんだ。」

「ユースリーグと呼ばれる、23歳以下のチームだ。ジョシュはそれをこなしていたが、他の選手は崩れてしまって……」。

しかし、ギディーはそのように(こなしていると)思っていなかった。

「ジョシュは、とてもイライラしていたよ。」(ダーネール)

「車で家に帰ったのを覚えている。ジョシュはこう言ったんだ。『フィル、僕はひどいプレーをしたんだ』ってね。私は『ジョシュ、冗談だろう?22歳の若者を追い詰めたんだぜ。君は自分よりずっと年上の選手とやり合って、しかもそれが簡単に見えるよ。」 "と言ったんだ。

簡単に見せること。彼のメンタリティーも変わっていない。

   

「素晴らしいことだ」(ダーネール)

「彼の最大の財産は、すべてを経験し、何事も当然と思わず、非常に謙虚であることだ。」

結局、ギディとNBAの夢を阻んでいたのは、彼自身だったのだ。

元タイガースのチームメイト、トゥイッグ:「彼が、この国の最高の選手たちと肩を並べられると過信していたとは思わない。」

それが、2019年に一変した。

   

それは、オーストラリアジュニア選手権だった。ギディーにとって、州を代表してプレイする最初の機会であり、皆が見逃していたものを示す最初の機会でもあった。

16歳のギディーはこの大会で平均20得点、8.3リバウンド、6.0アシスト。オーストラリアのプロスペクトの一人に浮上した。コロラド、ワシントン、ユタ、TCU、そしてラトガースがオファーを出した。(ダーネール)

「そして、ジョシュは、その年の後半に2度アメリカに行き、あらゆるところからオファーを受けるようになった。ヒューストンのNCAAのキャンプに参加し、NBAアカデミートーナメントでプレーした。」>2019年当時の記事

また、2019年はずっと、メルボルンの自宅から600km以上離れたNBAグローバルアカデミーで過ごしていた。

ギディーが初めてアカデミーに参加したのはその前年で、当時はまだ所属する州代表でのプレーはなかった。そのことは、今でも彼の心の中にある。しかし、NBAアカデミーのテクニカルディレクターであるマーティクラークと話す時、そのことが話題に上るたびにギディーが聞いたのは、同じメッセージだった。

クラーク:「ただ、彼はいい子だと。」

   

NBAの国際バスケットボール事業担当バイスプレジデントであるクリスエバーソル:「彼にとっては、とても重要なことだったのでしょう。」

「あのような立場にある選手が、『これは自分には向いていない、自分の思うようにはいかない、もう追求するのはやめよう』とあきらめたり、そのシナリオを信じたりするのは、とても簡単なことだろう。」

しかし、ギディーは違った。

   

「逆境を逆手に取って、それを燃料やモチベーションにして向上してきたことが、彼の性格やメンタリティを物語っている。」とエバーソルは言う。

   

州のバスケットボールでは通用しないと思われていたのに、NBAで活躍することになった

「しかし、内心では傷つき、多くの人が間違っていることを証明したいと思っていたはずだ。」(タイガースのコーチングディレクター、アブディセビッチ)

「そして、彼は素晴らしい形で成し遂げた。我々は皆、彼のことを本当に誇りに思ってるし、彼が(州代表)落選からどのように立ち直ったかも知っている。彼は決して不平を言わず、ゲームへの愛情を失わなかった。」

今、ギディーは、そのゲームへの愛情を他の選手にも伝え、自分を決めるのは逆境ではなく、それにどう対応するかであることを証明している。

   

「彼は子供たちに、オーストラリアのシステムは世界に引けを取らないと思わせる、新しい扉を開いたのだと思う。」とアブディセビッチは付け加えた。

↑ここまで>FOXスポーツオーストラリア③

   

6位指名!

   

ジョシュギディーは、2021NBAドラフト指名後の会見で、ネイビーのタキシードにつけられたバッジを指さしながら、「君たちが見ているかどうかわからない。でも僕は、彼らと彼らが私のためにしてくれた全てを示すために、今夜このバッジを持っているんだ。」.

”彼ら”とは、NBAグローバルアカデミーのことで、設立からわずか5年で、すでにNBAドラフトで指名される最初の卒業生を輩出した。

インド、メキシコ、セネガル、そしてオーストラリアと、世界各地にあるNBAの国際的な育成プログラム。

オーストラリア、特にキャンベラにあるグローバルアカデミーは、ギディーが1年半ほど滞在した場所であり、彼の人生を変えた場所でもある。

「私自身、バスケットボールに大きな未来はないと思っていた時に、彼らは私を迎え入れてくれた。」(ギディー)

   

これはギディーの功績であると同時に、アカデミーにとっても歴史的な瞬間であり、システムが機能していることを明確に、具体的に証明するものだ。

   

人々はいまだにこう言う:「(組織として)機能するの?」

   

NBAグローバルアカデミーは、毎年16人のエリートアスリートを受け入れており、彼らはNBAが雇ったコーチの下、BA(バスケットボールオーストラリア)センターオブエクセレンスチームやコーチと協力しながらトレーニングに励んでいる。

その16人のうち5人は、オーストラリアの有望選手でなければならないのだが、ギディーはそのうちの1人であるだけでなく、最初の大きな成功例となった。

彼は導入キャンプを経て2018年にアカデミーに参加したが、その6カ月前にインドで行われた"Basketball Without Boaders アジアキャンプ"で、初めてレーダーに引っかかった

「彼はオーストラリアチームの中でも強い選手だった」(クリスエバーソル)

エバーソルは、NBAの国際バスケットボール事業担当バイスプレジデントで、リーグ最大の国際プログラムであるBasketball Without Boadersと、NBAアカデミーの2つを管理監督している。

彼はまた、リーグ全体の国際的なスカウトと密接に働いており、ギディーの可能性をすぐに察知したのである。

「当時、彼は6-4くらいだったと思うから、まだ完全に成長しきっていなかったんだ。」(エバーソル)

「でも、長い間見ていると、確かに目立つ選手だった。」

その時初めて、ギディーのゲームのある側面、特にビジョンとパッシングの素晴らしさを理解することができた。

クラークが、WCC校セントメリーズ大学(おなじみのSMC、NCAAディビジョン1)でアシスタントコーチをしていた時、初めてギディーを将来のバスケットボールの有望株として認識したのも、この資質だった。

「彼は、あの年頃のほとんどの選手たちを凌駕するパッサーだった。」(クラーク)

「私はウォリックとプレーし、私の妻はキムとナショナルチームでプレーしていた(!)ので、ギディ一家とは1980年代から付き合いがあるんだ。三男とジョシュは、2年に一度、メルボルンクラシックなどで対戦していた。もうかなり長い間、彼を見ているよ。」

(最初は)"12歳のジョシュギディー "。次に会った時、彼は16歳になっていた。彼はキャンプに来たんだ。キャンプを終えた時、「こいつはかなりいい選手になるチャンスがある」と思った。ただ繰り返すが、NBAで通用するという考えはなく、州代表選手、あるいはオーストラリア代表になるべきだ、と。

「どこまで行けるか、誰にもわからないもんだよ。」

   

2017年、クラークはセントメリーズを離れ、グローバルアカデミーのテクニカルディレクターになることを決意。

ギディーがインドで初めて見い出されてから1年も経たないうちに、クラークは彼の成長を追い始め、アカデミーが適切かどうかを見極めた。

それからわずか6カ月後、ギディーはメルボルンからキャンベラまで、600キロ以上もの距離を移動し、家族の旧友と一緒に夢を追いかけることになった。

「毎日、彼と一緒にいた。」(クラーク)

「彼が得意なことと、改善しなければならないことがあった。」

   

NBAドラフト前のスカウティングレポートでは、ギディーの弱点とされていたのはシューティングとディフェンスだ。シューティングはまだ未完成だが、クラークは決して心配はしていなかった。

彼は最高のシューターではなかったと言われるし、実際そうだったが、毎回リムまで到達できるのになぜショット(ジャンパー)を打つ必要があるのか?

「彼は”ライブドリブル”でとても速いんだ。彼はいとも簡単に、いつでもリムに到達することができた。若い選手にとって、リムへの到達が成功すると、なぜわざわざショットを打つのかということになる。

「最終的には彼はシューティング練習に励み、自分のリズムとフォロースルーを身につけた。」

「ディフェンスに関しては、ギディーが自分のゲームを発展させようと努力するのと同時に、体が成長

していくのを待つ必要があった」

「彼は急成長した時期があり、成長すると体が硬くなるんだ。だから、体勢を低くすることができなかったし、足首の柔軟性もあまりなかった。そういうことができるようになると、ディフェンスも良くなるんだ。」

しかし、グローバルアカデミーでのギディーの成長は、学業、ライフスキル、運動能力向上のための栄養学と、コート上にとどまらなかった。

「”NBAドラフト界隈”では無名だった彼が、アカデミーに来て、あっという間に注目されるようになったのは、これら全ての要素が付加価値となったからだ。」(エバーソル)

エバソールによれば、ある大会で「光が射した瞬間」があり、そこでギディーは自分の居場所を見つけたのだ、と。

   

キャンベラに来た時、ギディーは身長6-5ほどで、夢は持っていたが、それがどこまで実現できるのか、はっきりとはわからなかった。

しかし、キャンベラを去る頃には、ギディーの身長は6-8に伸び(!)、多くのNBAスカウトから、ヨーロッパで最も才能あるジュニアプレーヤーたちと対戦する、ハイレベルのトーナメントで「傑出した選手」と評されるようになった。

この大会(2020 Torneo Junior Ciutat de L'Hospitalet)では、NBAグローバルアカデミーチームが優勝し、ギディーがMVPに選ばれた

彼は1試合平均11.2得点、8.4リバウンド、4.6アシストで大会を終えた。

スペインで開催されたこの大会で、ギディー自身のプレイで、世界の舞台に立つことを示したのである。

「彼にとっては、自分が優位に立てるということに気づいた、光が差した瞬間だったと思う。」(エバーソル)

「スタッツや得点だけでなく、自分の意志をゲームに反映させることができたんだ。実力のあるチームがひしめくトーナメントで、彼は本当に力を発揮したんだ。彼にとっては、自分の実力を実感し始めた瞬間だった。」

   

しかし、ギディーがいつも成長を容易に感じていたというわけではない。

ギディーの友人で、メルボルンタイガースのチームメイトでもあるパディトゥイッグ:

600キロ以上離れたメルボルンで、トゥイッグはギディーの父ウォリックにコーチされており、彼はジョシュが「かなり疲れる」と感じていると話していた。

「かなりハードに追い込んでいたのは知ってる。」(トゥイッグ)

「以前、(NBAアカデミーの)キャンプに参加したことがあるんだけど、彼らの向上意欲は異常だよ。」

しかし、ギディーにとってはむしろ、自分を追い込みすぎていないかどうかが、問題だった。

「時間をかけすぎていないか、心配になるような数少ない選手の1人だった。」(エバーソル)

ギディーが週3日、早くから練習に参加するのは、すべてシューティングを向上させるためだった。

「シューティングミスについて考えすぎて、それが彼の足かせになっていたようだ。」(クラーク)

「でも、彼はいつも朝には来ていたんだ。」

   

「マットデラベドバもそうだった。彼らは常に良くなる方法を探したいと考えている。必ずしもスキルベースやフィットネスベースではないが、探求心が旺盛だ。」

「リーダーシップを探ろうと、彼はジョーイングルスやデリーに話しかけ、『どんなことをしているんですか?』と聞くんだ。そんなことを考える16〜17歳は、そうそういないだろう。自分自信をコーチングできるようになるのは、もう少し後になってからになることが多いんだよ。」

しかし、ギディーのバスケットボールIQは常にその年齢以上のもので、NBAに入った今でも、19歳のルーキーに期待される以上のものだ。

「彼の落ち着きもそうだし、決して暴走しているようには見えないんだ。」

ほとんどの若い選手が入ってきてできることではない。皆、周りのゲームのスピードに影響され、その逆はないんだ。ジョシュはテンポをもたらし、自分の意志を発揮してゲームをコントロールすることができる。

   

コート上だけでなく、オーストラリアの若い才能のために、州レベルのバスケットボールがどこまで通用するかという新しい道を示す顔としての責任も担っている。

「彼は州代表チームに選ばれなかったのに、わずか数年後にはNBAのドラフトで全体6位に指名されるまでに、180度変わった。」(エバーソル)

「あの過程を歩んだことは、ジョシュの性格と向上心を物語る、特別な転機だと思う。」

グローバルアカデミーにとってもこれは特別なことであり、次の卒業生がギディーの後に続くまで、何年も続く強力なツールとなる。

   

40年の歴史とサクセスストーリーを持つバスケットボールオーストラリアのセンターオブエクセレンス(CoE)とは異なり、グローバルアカデミーはまだそのアイデンティティを形成している最中。

まだ初期段階であり、クラークが先に述べたような「うまくいくのか?」という疑問はつきまとう。

アカデミー卒業生がNBAにドラフトされたことは、その疑問への答えの第一歩。大方の予想より少し早かったが。

「来年か再来年には、もっと増えるだろうけど、ジョシュが初めてだ。この先1、2年は何人かが出てくるだろうが。」「いつも思うのは、伝統というものだ。伝統とは何だろう?」

「それは、文化をつくるようなもので、スタート時期が難しい。いったん始まって続けば、継続するのは簡単だ。」

そして、ギディーがNBAにドラフトされた日、クラークはアカデミーの現役選手たちに、アカデミーの歴史の重要な部分を目撃してもらおうと思ったのだ。

OKCファンはどうとらえたのか。

   

たとえ、学校を数時間休んでもだ。

「シアターで観戦会をしたよ。」

「みんな学校も休み、授業も休んだ。もし彼が15位か17位の前に指名されたら、彼がドラフトされるのを見届け、選手たちをバスに乗せて学校に戻せるから最高だ。」と考えたんだ。

もちろん、(早々に指名されたため)それは実現しなかったが……

「ずっと座って見ていた。」

「彼は、おそらくほとんどの人が予想していたよりもずっと早く指名されてしまったんだ。選手たちはしばらく狂喜し、飛び跳ねて、、、スクールバスに乗り遅れたよ。」

※下リンクにあるニューヨークタイムズの記事に、「ピザがそこらじゅうで飛んでいた」とあります(笑)

   

「でも、卒業生が指名されるなんてめったにないことだから、授業を休んでもいいんだ。」

   

クラークは、ギディーの名前が呼ばれたときの感動を、今でも鮮明に覚えている。

それは、シンプルで力強い問いかけだ。

「選手たちにもよく話している。」(クラーク)

「ジョシュギディーは2年前、君らのポジションにいたが、君らは2年後、どこにいたい?2年後にどうなっていたいか?もう少し時間がかかる者もいれば、絶対に無理な者もいる。」

   

「伝統は、人を動かすために使われる強力なツールだ。」(クラーク)

「オーストラリアでのバスケットボールは、オージールール(オーストラリアンフットボール)やクリケットと比較すると、それほど古いものではない。それらの伝統は、100年以上の歴史がある

しかし、ギディーはまだ19歳なのに、(アダム)シルバーと握手した後も、ずっとそのバッジをつけたまま、自分自身の伝統を築き上げる手助けをしているんだ。

「まだ4期しか卒業していないのだから、初期のグループはプログラムのパイオニアだ。」(エバーソル)

「彼のストーリーは、とても刺激的だ。このような話は、現在のアスリートだけでなく、その下の若い世代にとっても、このプログラムの力になる。」

↑ここまで>FOXスポーツオーストラリア④

   

ジョシュギディーを育てた、NBAグローバルアカデミー

(たぶん皆さんもそうでしょうけど)すごく興味のある組織です。

   

以下、ニューヨークタイムズの記事(2022年3月29日)から、やはり抜粋↓

   

NBAグローバルアカデミーは、リーグが海外でゲームを成長させ、世界中の高校生世代育成の、追加の方法を模索するように2017年にオープンし、即、エリート選手を育成する組織として話題になった。

   

NBAはかつてないほど国際色豊かで、2021-2022シーズンの開幕ロースターには、オーストラリアからの7人を含む、アメリカ国外からの選手が過去最高の121人含まれている。そして、このアカデミーは、ある意味、この流れの縮図といえる。中国、インドネシア、カタール、そしてもちろんオーストラリアからの選手が登録されているのだ。

   

「アカデミーでは、アイソレーションボールや1 on 1で勝負することはなかった。」(ギディー)「そして、それがオーストラリア人が好む無私のバスケットボールなのだと思う。」

   

54歳のクラークは、チームワーク、無私の精神、忠誠心を優先する「メイトシップ」というオーストラリア独特の概念について説明してくれた。

「文化的に、私たちは若い頃から、個人よりもチームや家族、会社のために働くことを教え込まれている。」「そして、そのように仕事をすれば、報われるのだ。」

ギディーは、幼い頃からスタッツを気にするなと教えられてきたという。パティミルズ、マシューデラベドバ、そしてジョーイングレスのようなパスファーストの選手たちがお手本だった。キャンベラにあるオーストラリアスポーツ研究所(AIS)のキャンパスでは、何十年にもわたって、バスケットボールを含むさまざまなスポーツで国内の若いトップアスリートたちが学んできた。

NBAグローバルアカデミーは、このA.I.S.と提携して設立された。

   

クラークは、選手たちに「ポジションレス」バスケットボールを強調している。これは、現代のNBAの多くに見られる、選手が役割を交代してコート全域で動けるような攻撃的なセットである。キャンベラでは、選手はゲームのあらゆる側面を学ぶ。ポイントガードとして来ても、パワーフォワードとして来ても関係ない。

   

チームの平日のスケジュール。午前中は、学校に行く前に、シューティングからピック&ロールのカバーリングのニュアンスまで、個々のスキルアップに重点を置いている。通常、オーストラリア出身の選手は近くの高校に通い、海外出身の選手はオンラインコースを受講。昼過ぎになると、チームはオフコート講義ために再び集まる。例えば、栄養学の授業や、スポーツ心理学者や理学療法士との1対1のセッションなど。午後はさらに授業があり、その後、練習(オンコート)とウェイトトレーニングを行う。

   

このチームは通常、オーストラリアのトップリーグ(NBL)より1つ下の、2部リーグ(NBL1)のプロクラブと対戦する。選手たちは寮に住み、自立することを学ぶ。(クラーク)

「彼らは普通の17歳ではない。」「人生経験が豊富だ。」

   

U19オーストラリア代表チームの一員として、クラークはウォリックギディーという才能あるフォワードと一緒にプレーしていた。その後、ギディーがオーストラリアNBLのメルボルンタイガースでスターになると、彼の小柄な息子、ジョシュがタイムアウト中にコートに駆け込んできて、何本かシューティングするようになった。

数年後、ジョシュギディーはクラークの育成キャンプに参加。クラークによると、当時ギディーは10代の成長期で、手足はガクガク、腰はガチガチ、潜在能力は未熟という状態だった。クラークは、彼に課題を与え、帰らせた。翌年、キャンプに帰ってきたギディーに、クラークは即座に奨学金を与えた。

   

アカデミーでの2年間を経て、ギディーは昨シーズン、NBLのアデレード36ersで過ごし、NBAのドラフトにエントリーする資格を得た。サンダーでの1年目は、1試合平均12.5得点、7.8リバウンド、6.4アシストで、NBAウェスタンカンファレンス月間最優秀新人賞を4度受賞している。

   

「僕はNBAドラフトで指名された、初のアカデミー出身選手だった。でも僕で終わりではないだろう。」

   

アカデミーでは、最近改装されたロッカールームに、プログラムのNBA卒業生の額装ポスターを備えている。そして、こんなサインもある。“Who’s next?”

   

クラーク:「選手たちがこれを見て、"(次は)自分かもしれない "と思わせるためだ。」

   

↑ここまで>ニューヨークタイムズ記事

   

なかなかお披露目されない施設

   

そういえば、先日Bリーグ・横浜ビーコルセアーズのジェイコブス晶選手(2004年4月生まれ)がNBAグローバルアカデミーのトライアウトに招かれていましたね。

>Bリーグのリリース

   

オーストラリアバスケットボールのこれからと・・・日本!

オーストラリアがオリンピックやワールドカップで優勝する日は、それほど遠くない気がします。

   

ジョシュギディーに続く選手。ともにNBAアカデミーで過ごし、2021年のNBAドラフトで指名されるギディーの姿をモニターで見ていた選手は・・・

   

まず、ダイソンダニエルズ(2003年3月生まれの19歳)。昨季をNBA Gリーグイグナイトで過ごした彼は、先日NBAドラフト2022へのエントリーを表明。※エージェントは、ギディー(2002年10月生まれ)と同じ、ダニエルモルドバンのようです。因みに、モルドバンはルイビル女子のスター、ヘイリーバンリス(HVL)とも契約。

>プレイヤーズトリビューン

   

そして、タイリスプロクター(2004年4月生まれの18歳)。彼は2023年秋に、デューク大学へ進むことを表明しました。

   

その他、モハベキング(NBLアデレード、2002年6月生まれ)に、ルークトラバース(NBLパース、2001年9月生まれ)らがいますが、彼らはオーストラリアの才能の”ごく一部”。

   

日本のバスケットボールのこれから

日本のバスケットボールはどうでしょうか。

明らかに、レベルが上がってきています。

特に、若い選手。

   

今年、2022年もシニア代表の大会に注目が集まりそうですが、個人的にはそれ以上にアンダーカテゴリーイベントに強い興味を持っています。>FIBAアジア公式ページ

   

ワクワクさせてくれそうな面々です↓

>2022年度バスケットボール男子U16日本代表チーム 日本代表候補 第3次強化合宿 参加メンバー

>2022年度バスケットボール男子U18日本代表チーム 日本代表候補 第2次強化合宿 参加メンバー

   

最後に、ジョシュギディーやNBAアカデミーの記事を印象に残った点。

>ギディーはエリート。両親揃ってトップレベルのバスケットボール選手であった。

>ギディーの挫折と反骨心・向上心:エリートでありながら、ある面、遅咲き。異常なほど「心身を」鍛えている。

>マルチスポーツ:ギディーはかなりフットボールQBのプレイを意識している。日本は明らかに1つのスポーツにこだわりすぎている気も。

>NBLのネクストスタープログラム:高校世代の選手に、国内トップレベルでの環境を与える。FIBAのレポートのとおり、日本は「高齢」。

>人脈:コーチの国外コネクション。例えば、NCAAコーチらとのつながり。日本は選手以上にまずコーチが英語を身に付ける必要性。

>遠征:若いうちからの海外での競争。

>発信:ギディーのフェイスブックページのようなものが、選手によっては必要。

   

<その他参考記事>

>USA TODAY (2021)

>スポーティングニュース

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