ゴンザガ大学の八村塁、そしてNBA選手八村塁誕生のキーマン
八村塁という、日本人スーパースターの誕生には、多くのキーマンがいたと思います。
その1人が奥田中学校の坂本コーチであり、明成高校(現在の仙台大学付属明成)の佐藤コーチであることは間違いありません。
FIBAのアンダーカテゴリーを率いてきたドイツ人コーチ、トーステンロイブルもそうでしょう。
今回は、明成高校に所属していた八村塁を、ゴンザガ大学に勧誘した人物、ゴンザガ大学アシスタントコーチのトミーロイドについて。
ゴンザガによる、八村塁リクルーティングプロセス
*八村塁のゴンザガ入りに際しては、日米で多くの人物が関わっているようですが、もちろん全ては明らかになっていません。ここでは、2020年の11月にゴンザガ大学の公式サイトに掲載された、トミーロイドについての記事に沿って書いていきます。
以下、要約して抜粋。
・トミーロイドのコーチングキャリアにタイトルをつけるならば、”飛行機、電車、そして自動車”となるかもしれない。それくらい、ロイドは世界中を飛び、走り回って、選手をリクルートしてきた。その代表がロニートリアフ(フランス)であり、ケリーオリニク(カナダ)であり、ドマンタスサボニス(リトアニア)であり、八村塁である。
・ロイドがゴンザガ大学のヘッドコーチ、マークヒューのアシスタント補助(アシスタントコーチのもう1つ下のポジション)になったのは、2000年のこと。翌2001年にアシスタントコーチに昇格した。
・早々に、ヘッドコーチヒューはロイドに「リクルーティングニッチ」が必要だと言って、FIBAのU18イベントのメディアガイドを渡した。
*これは知りませんでした。この「リクルーティングニッチ」は、全てトミーロイドが考え出し、創ったものだと思っていたのですが、HCヒューの頭の中にもあったアイディアだったのですね。それくらい、アメリカ国内の選手獲得競争は厳しい。特にゴンザガのような、メジャーではないカンファレンスに所属している学校にとっては。
・ゴンザガと同じワシントン州にあるウィットマンカレッジで選手として活躍したロイドは、オーストラリアやドイツでプレイした経験があり、この時点ですでに国際通。ヒューの”ヒント”を手掛かりに動き始めた。
・ヒューはロイドに自分の国際電話カードを貸し出したが、数か月で20万円以上を使った。ロイドは昼夜を問わず電話をかけまくり、ヨーロッパのバスケットボール関係者、コーチやスカウトなどと、国際的なコネクションを構築していった。ロイドはヒューにカードを返してほしいか?と尋ねたが、ヒューは「いや、いい」と。
*(笑)。ハードワーカーですね!!
・ロイドの最初の大きな成功は、ロニートリアフだった。トリアフがゴンザガ大学を訪問するためにスポケーンにやって来た時が、ロイドとの初対面だった。飛行機のタラップを下りたトリアフは、「あなたを信用してもいいのですか?」と。ロイドは「もちろん。」
2人はゴンザガ大学キャンパスを歩き、卓球をやった。トリアフはこういったロイドのもてなしを気に入り、「ここ(ゴンザガ)がいい。」
・トリアフの成功が、他の多くの選手の勧誘に繋がった。「フランス人選手がアメリカでのプレイを検討する際、トリアフが良いサンプルになったんだ。」「彼がリクルーターというわけだ。」
*ロニートリアフはすごく印象に残っている選手。記事に書かれている通り、フランス国籍ながら、カリブエリアで育ったためか、いつも明るい、ナイスガイでした。ゴンザガの選手は、皆性格が良いんですよね。
・続いたのがドマンタスサボニスで、そして八村塁。
・ロイドが初めて八村のプレイを見たのは2014年。ロイドは八村について、友人から聞いていた。ただ、少々調査を必要とした。八村は日本に住んでおり、当時高校生だった。通訳をつけてアメリカに来た時、八村は喜んでいるようだった。
・「我々は八村に、機を見て声をかけ、リクルートした。公式訪問のため、お母さんと通訳とともに、再度アメリカに来てもらった。塁はアメリカに来たがっていたよ。」
・ロイドは、ゴンザガがピッツバーグと対戦する際、再度来日(2015年11月)。
-このゲームは沖縄の基地内で行われたが、コートのコンディションが悪く、ハーフタイムで中止になった。
この時、ゴンザガは八村に奨学金を提示。八村はこれを受け入れた。
*ゴンザガが日本で公式戦!と聞いて、喜んだのを覚えています。軍関連のイベントであり、どちらにしろ観戦は不可能だったのですが。”日本の中のアメリカ”で開催されたという表現がしっくりきます。
*映像、ありました!幻のゲーム↓
やはり軍人の方ばかりですね。
*ゴンザガが来た時に八村のリクルートが進んでいるとは、この時思いもよりませんでした。
・ロイドは塁とその家族、そして6人のスーツを着た男性とともに、ローカル(富山か仙台?)のレストランで会った。「箸を使うことが上手いわけではなかったが、食事をするのに箸が必要なのはわかっていた。自分で自分を褒めたい。彼らは(箸の使い方が)上手だとは思わなかっただろうけどね。」
*6人の、スーツを着た男性が気になりますね(笑)。誰だったのか。そして、これは富山だったのか仙台だったのか。何より、ロイドは根性がある!!(笑)
・八村は日本で大人気になった。2年生と3年生の頃には、ゲーム後のロッカールームに10人を超えるレポーターが、たぶたび八村の周りに群がった。「3年後(2019年)、八村はNBAワシントンによってドラフト指名され、私は家族を連れて、コーチングクリニックのために来日した。塁は中国でのワールドカップに日本代表として出場したが、この時も彼の人気はすごかった。」
・ロイドのリクルートも含め、ゴンザガには17か国もの選手が所属した。現役ではマルティナスアラウスカス(リトアニア)、ジョエルアヤイ(フランス)、オマーバッロ(マリ)、そしてパゼルザクハロフ(ロシア)。OBには八村、サボニスとトリアフのほか、ポーランド代表のプルゼメクカナウスキ、カナダのケビンパンゴス、ケリーオリニクにロバートサクレ。ドイツのエリアスハリスとマーティモニゴフ、ブラジルのJPバティスタ、アイボリーコースト(コートジボアール)のガイランドリーエディ、そしてナイジェリアのアブドゥーラクウソー。
*サクレやクウソー、Bリーガーが多いのも特徴ですね!
・ゴンザガの何が、彼らインターナショナルプレイヤーを惹きつけるのか。
・「我々には、多くの留学生をサポートしてきた実績がある。スポケーンは生活するのに素晴らしい場所だが、優れた高校生選手がいるわけではない。昔の、インディアナ州の町みたいだよ。」
*たしかに!
・「これら、ゴンザガに大きなコミットメントをしてくれる選手たちに、彼らが将来必要とするものを確実に手に入れることができるようにする責任があるんだ。」
・オリニクが素晴らしい手本である。彼は2年生を終えた後、才能ある選手が多くいたために、転校しようとしていた。ロイドは言う。「我々はオリニクにレッドシャツ(1年間出場資格なし)になるように説得し、一緒に懸命に練習した。彼はWCC最優秀選手となり、2020年はマイアミヒートの一員としてNBAファイナルを戦うほどの選手になった。」
*素晴らしい!!
・ロイドは家族以外に、2つのことに情熱を注いでいる。彼は旅をし、新しい関係を築き、異なる文化を学ぶのが大好きだ。そしてバスケットボール。彼はゴンザガで、それらの情熱に対する”ニッチ”を見事に発見したのだ。
→フランフランシラのポッドキャスト 英語の訓練にも最適です(笑)
ゴンザガ大学アシスタントコーチ、トミーロイドとは
いかがでしたでしょうか。
八村塁のリクルーティングを通じ、あまりにも強大なNCAAカレッジバスケットボールにおけるコーチの仕事というものが見えてくると思います。
この、(アメリカ)国内リクルーティングが厳しいとみるや、海外にその才能を探しに出た(ヒューの言葉を借りるなら、”ニッチ”を創り出した)プロセスは、バスケットボール、スポーツにとどまらず、どのような仕事にもヒントとなりうるのではないでしょうか。
八村塁という選手の成長において大きなキーマンがいたのと同様に、ゴンザガバスケットボールの成長にも多くのキーマンが存在することが確認できます。
最後に、トミーロイドのプロフィール。
ゴンザガの大成功を支えたロイドには、ヘッドコーチデビューの噂がいつもあります。が、彼は今のポジションに十分満足しているようにも見えます。
八村塁に続き、ゴンザガ経由でNBAを目指そうとする日本人選手は現れるでしょうか。
現れそうですね!!(笑)
八村塁のリクルーティングについては、こちらもどうぞ。
<追記>
中国人スター、Fanbo Zeng(曾凡博)がゴンザガにコミットしました。
“The great tradition of developing international players was very important to me when I made the decision. Already can’t wait to join such a great family.”
スポケーンの地元紙
<追記の追記>
トミーロイド、アリゾナ大学のヘッドコーチに大栄転! →八村塁も祝福!
一方で、ファンボゼン(Fanbo Zeng、曾凡博)はゴンザガ進学を取り止め、Gリーグイグナイトへ進むと報道。ロイドの栄転の影響もあったでしょう。