アメリカの優勝で幕を閉じた、パリ五輪のバスケットボール。
しかし。USAバスケットボールが、かつてのような圧倒的な支配力を見せることはできなくなっている(FIBAゲームにおいて)のが共通認識。
今回はアメリカのバスケットボールに最も肉薄していると考えられている、ヨーロッパバスケットボールの歴史について。
過去の投稿2つもあわせてご覧ください。
> 日本のバスケットボール振り返り①-日本バスケットボールの歴史
> 日本のバスケットボール振り返り②-歴代日本代表の主な戦績と選手
ヨーロッパバスケットボールの歴史
簡単に、アメリカと日本も含めたバスケットボールの歴史を以下に。
年 | 主な出来事 |
1891 | マサチューセッツ州スプリングフィールドでバスケットボールが誕生 |
1893 | パリYMCAで欧州初のバスケットボールゲーム |
1897 | AAU設立 |
1898 | NBL(アメリカ初のプロ)設立 |
1905 | 15の大学により、ルール委員会設立 |
1909 | サンクトペテルブルグで初の国際ゲーム (地元マヤクがアメリカのYMCAチームに勝利) NCAA設立 |
1910 | フィリピンが協会設立 |
1913 | 日本で本格的にバスケットボールが普及 |
1930 | 日本協会発足 |
1932 | FIBA設立 |
1935 | スイスのジュネーブで第1回ヨーロッパ選手権 (現在のユーロバスケット) |
1936 | ベルリンオリンピックで初のバスケットボール競技開催 (アメリカが優勝) |
1939 | 第1回NCAAトーナメント開催 |
1949 | BAAとNBAが合併 |
1976 | ABAとNBAが合併 |
1992 | ドリームチーム結成 |
YMCA(Young Men's Christian Association)という存在により、かなり早くからヨーロッパでもバスケットボールが普及していったことがわかります。
あとは、英語という共通言語ですね。
1910年に協会が設立された(日本より20年早い!)フィリピンは当時、アメリカによる植民地でした。
ユーロバスケット(旧ヨーロッパ選手権)の歴史
上の表、1935年に第1回大会が開催されたヨーロッパ選手権。現在の呼称はユーロバスケット。
この大イベントなくして、ヨーロッパバスケットボールの歴史を語ることはできないでしょう。
元々は2年ごとの開催。これはアジアなども同様で、ともに4年に一度行われる、オリンピックと世界選手権(現在のワールドカップ)の予選を兼ねていたのですね。
初期~第2次世界大戦前
回 | 開催年 | 開催地 | 優勝 | 準優勝 |
1 | 1935 | スイス(ジュネーブ) | ラトビア | スペイン |
2 | 1937 | ラトビア(リガ) | リトアニア | イタリア |
3 | 1939 | リトアニア(カウナス) | リトアニア | ラトビア |
「あまり知られていませんが」、FIBA本部があるスイスで行われた、記念すべき第1回のチャンピオンはラトビア!
戦後から冷戦~ソ連による”支配”
回 | 開催年 | 開催地 | 優勝 | 準優勝 |
4 | 1946 | スイス(ジュネーブ) | チェコスロバキア | イタリア |
5 | 1947 | チェコスロバキア(プラハ) | ソ連 | チェコスロバキア |
6 | 1949 | エジプト(カイロ) | エジプト | フランス |
7 | 1951 | フランス(パリ) | ソ連 | チェコスロバキア |
8 | 1953 | ソ連(モスクワ) | ソ連 | ハンガリー |
9 | 1955 | ハンガリー(ブダペスト) | ハンガリー | チェコスロバキア |
10 | 1957 | ブルガリア(ソフィア) | ソ連 | ブルガリア |
11 | 1959 | トルコ(イスタンブール) | ソ連 | チェコスロバキア |
12 | 1961 | ユーゴスラビア(ベオグラード) | ソ連 | ユーゴスラビア |
13 | 1963 | ポーランド(ウロツワフ) | ソ連 | ポーランド |
14 | 1965 | ソ連(モスクワ) | ソ連 | ユーゴスラビア |
15 | 1967 | フィンランド(ヘルシンキ) | ソ連 | チェコスロバキア |
16 | 1969 | イタリア(ナポリ) | ソ連 | ユーゴスラビア |
17 | 1971 | 西ドイツ(エッセン) | ソ連 | ユーゴスラビア |
18 | 1973 | スペイン(バルセロナ) | ユーゴスラビア | スペイン |
19 | 1975 | ユーゴスラビア(ベオグラード) | ユーゴスラビア | ソ連 |
20 | 1977 | ベルギー(リエージュ) | ユーゴスラビア | ソ連 |
21 | 1979 | イタリア(トリノ) | ソ連 | イスラエル |
22 | 1981 | チェコスロバキア(プラハ) | ソ連 | ユーゴスラビア |
23 | 1983 | フランス(ナント) | イタリア | スペイン |
24 | 1985 | 西ドイツ(シュトゥットガルト) | ソ連 | チェコスロバキア |
ヨーロッパに限らず、バスケットボールに限らず、、、国と国とのゲームにおいて、政治や戦争による影響を免れることはありません。
優勝国が次回大会をホストしていたのも束の間、戦後初のユーロバスケットは再びスイスで行われました(1946年)。これはスイスが永世中立国であるためでした。
大会を制したのは、またも「東」欧、チェコスロバキア。
この第4回ユーロバスケットにおいて、イタリア人選手・ジュゼッペステファニーニがヨーロッパで初めてジャンプショットを披露した、という記録があります。
そしてついに・・・プラハで行われた翌1947年の第5回大会にて、戦前にヨーロッパ王者となっていた上記ラトビアと、第2回、第3回を連覇したリトアニアを「併合」していたソ連が優勝。
次の1949年大会こそ、わずかの期間”ユーロ”に参加が認められたエジプトに優勝を譲りますが、その後連邦崩壊まで開催された20回のうち、実に13回(!)ユーロバスケットを制したソビエト連邦バスケットボールは、「良くも悪くも」その名を世界中に知らしめました。
1950年代のソ連の記録は何と、47勝2敗(!!)となっています。
※’50年代のこのイベントの多くが、サッカー用のアウトドア(屋外)スタジアムで行われたというのも面白い事実です。戦争でインドアアリーナが大きな被害を被ったためとされており、1957年大会においては、このホスト国ブルガリア対ソ連の決勝を、48,000人(!)のファンが見守ったとのこと。
驚かされることばかりです。
(1959年のトルコ大会を最後にアウトドア競技場での開催は終了。以降、FIBAがインドアでの実施を義務付けたそうです。)
また、ソ連の陰に隠れがちですが、戦後はユーゴスラビアも台頭。現在のセルビア、スロベニア、そしてクロアチアなどで構成。弱いわけがありません。
1973年のスペイン大会で初優勝し、そこから3連覇の偉業。
※エジプトの参加が停止された1953年。この年、イスラエルがユーロバスケットに初出場し、以降全てのFIBAヨーロッパイベントに参加しています。
このことに、中東の不安定な政情が影響しているのは言うまでもありません。
※1967年フィンランド大会で、この大イベントがヨーロッパ全土にTV中継開始。
※1985年の「西」ドイツ大会より、スリーポイントショットが導入。
この’80年代に、ソ連とユーゴスラビアをはじめとした「東」欧に、「西」が追いついたとされます。イタリアが1983年のフランス大会で初優勝。
そして・・・
冷戦後~西欧台頭
回 | 開催年 | 開催地 | 優勝 | 準優勝 |
25 | 1987 | ギリシャ(アテネ) | ギリシャ | ソ連 |
26 | 1989 | ユーゴスラビア(ザグレブ) | ユーゴスラビア | ギリシャ |
27 | 1991 | イタリア(ローマ) | ユーゴスラビア | イタリア |
28 | 1993 | ドイツ(ミュンヘン) | ドイツ | ロシア |
29 | 1995 | ギリシャ(アテネ) | ユーゴスラビア | リトアニア |
30 | 1997 | スペイン(バルセロナ) | ユーゴスラビア | イタリア |
31 | 1999 | フランス(パリ) | イタリア | スペイン |
1987年の第25回大会では、ホスト国ギリシャが初優勝。MVPを獲得したのは、アメリカのニュージャージー出身で、地元シートンホール大学に進んだニコスギャリス。殿堂入りしている、ギリシャの英雄。
ソ連は1991年に崩壊。
’90年代に強さを見せつけたユーゴスラビアでも多くの紛争が勃発。これらのタイトルは”スワンソング”とされています。
1993年の地元大会を制したドイツは見事なアップセット。MVPは、これもNCAAディビジョン1、シアトルのワシントン大学出身の7フッター、クリスチャンウェルプ。また、同年のNCAAチャンピオンに輝いたノースカロライナ大学の主力メンバーであり、後にドイツ代表HCとなるヘンリックロドルもロスターに名を連ねました。
1999年はイタリアが2度目の優勝。MVPはスロベニア出身のこれも7フッター、グレゴールフッカ。
21世紀~現在へ
回 | 開催年 | 開催地 | 優勝 | 準優勝 |
32 | 2001 | トルコ(イスタンブール) | ユーゴスラビア | トルコ |
33 | 2003 | スウェーデン(ストックホルム) | リトアニア | スペイン |
34 | 2005 | セルビア・モンテネグロ(ベオグラード) | ギリシャ | ドイツ |
35 | 2007 | スペイン(マドリッド) | ロシア | スペイン |
36 | 2009 | ポーランド(カトヴィツェ) | スペイン | セルビア |
37 | 2011 | リトアニア(カウナス) | スペイン | フランス |
38 | 2013 | スロベニア(リュブリャナ) | フランス | リトアニア |
39 | 2015 | フランス、クロアチア、ドイツ、ラトビア | スペイン | リトアニア |
40 | 2017 | トルコ、ルーマニア、イスラエル、フィンランド | スロベニア | セルビア |
41 | 2022 | ドイツ、チェコ、ジョージア、イタリア | スペイン | フランス |
第1回の準優勝国であり、1984年のロサンゼルスオリンピックでも銀メダルに輝いたスペイン。
しかしそのスペインでさえも、ユーロバスケット初優勝は2009年。実に第36回目の大会でした。
いまやアメリカに次ぐ強豪とされるスペインも、さんざん苦汁を飲まされてきた国であることは覚えておきたい事実です。(一方で、スペインは2006年の世界選手権日本大会で優勝。先に世界制覇を成し遂げていることからも、いかにユーロバスケットのレベルがすさまじいものであるかが理解できます。)
2017年の第40回大会。ここで旧ユーゴスラビアの1つであったスロベニアが初優勝。
MVPを獲得したのはスーパースター、ゴランドラギッチでしたが、若干18歳のルカドンチッチもスペシャルな存在であることは当然でしょう。
ヘッドコーチは、セルビア人のイゴールココスコフでした。
この2017年の第40回大会を最後に、ユーロバスケットの2年ごとの開催は終了。
パンデミックにより、2021年ではなく2022年に行われた第41回大会は、スペインが王座奪還。通算4度目のユーロ制覇。
2015年の第39回大会から行われている共同開催は続行中で、次の2025年、第42回大会はラトビア、キプロス、フィンランド、そしてポーランドで行われることが決まっています。
ヨーロッパと世界のバスケットボール発展に貢献してきたアメリカ
今回の投稿の最後に、”どうしても”これを残したい。
こちらの投稿の元記事を書かれた方、フランフランシラさん。
トムホーバスとも親交があり、世界のバスケットボールに精通しているフランさんが、今年、2024年のパリオリンピックの前後に、とてもとても興味深いポストをXにされておりましたので。
ここに(良い意味で)絡んでこられた方のポストも含め、抜粋、意訳して紹介させていただきます。
世界が(アメリカに)追いついたことに、我々アメリカ人は自責の念みたいなものも感じるが。
フランフランシラ
パリオリンピックを前に: 1万回聞かれた。なぜ世界のバスケットボールはこれほどまでに進化したのか?1992年のドリームチーム以前、ジャックラムジィ、チャックデイリー、ヒュービーブラウン、ディーンスミスなどの偉大なコーチたちが、夏になると世界中を回ってバスケットボールのクリニックを開いていたのだ。
フランフランシラ
各国のバスケットボール協会から招待されたこともあれば、アメリカ国務省から親善ツアーに派遣されたこともあった。イタリアの偉大なコーチ、エットーレメッシーナは、彼が若かりし頃、ディーンスミスがイタリアでクリニックを開いた時の運転手だったと言っていた。
フランフランシラ
基本的に、これらの”並外れて素晴らしい”アメリカ人コーチたちは、バスケットボールのゲームを世界に教えた。2世代、3世代と時間はかかったが、世界は劇的に縮小した。多くの場合、そうした海外のコーチたちが私たちアメリカにゲームを教え返している。海外でプレーした多くのアメリカ人選手に尋ねてみるといい。
フランフランシラ
スペーシング、フロー、チームワーク、ショットクロックの使い方、アウトサイドシューティングのインパクトは、NBA(そして今やNCAA)において非常に重要になっている。スパーズやウォリアーズがその証拠だ。マイケル、マジック、1992ドリームチームがそのプロセスを加速させた一方で、偉大なコーチたちが”シェア”しようとする意志が非常に重要だった。
フランフランシラ
まぁ、落ち着こう。人口3億5千万人のアメリカは、今でも世界最高の選手の大半を擁している。一方で、NBAの25%近くがアメリカ国外で生まれているのだから、彼ら偉大なアメリカ人コーチを(敵に塩を送った者たちとして)「非難」してもいいだろう。しかしだ。バスケットボールは今や真のグローバルスポーツになったんだ。これは素晴らしいことだ。
フランフランシラ
世界最高の”プレイヤー”を見るのが好きなら、見れないことはない。NBAで見れる。が、NCAA/FIBAとは違う”ゲーム”であることは間違いない。スペイン語とポルトガル語を話すようなものだ。同じように聞こえるが、2つの異なる言語だ。
フランフランシラ
もう一度言うよ。NBAとハイレベルなFIBAは、スペイン語とポルトガル語のようなものだ。同じように聞こえるが、全く異なる2つの言語なんだ。USA代表というのは、今外国語を習っているようなもんだ。上手くいくはずだ。時代は変わったんだ。
フランフランシラ
以上が、フランさんがポストした大まかな箇所。とても感銘を受けました。
そして、これに対しての同意と反対意見が大量に。
それもそれで、とても面白かったのでいくつか抜粋します。
アメリカのアスレチック能力に対抗する方法を考え出し、今やそのアメリカのコーチたちに広く採用されている、新しいスキームを生み出したユーロのコーチたちを称賛すべきかな?
ジミージョンソン
失礼なことを言うつもりはないんだけど、このスレッドで、彼らヨーロッパ人コーチがどのように”ゲーム”を我々アメリカに「教え返している」かを説明したつもりだよ。
フランフランシラ
レッドアウアバックが、ボブクージーと並んで、海外で(アメリカ国外で)クリニックを開いた最初のコーチだよ。
エドノイマー
そうだな、間違いない。1964年にレッドがNBAオールスターチームをユーゴスラビアに連れて行ったはずだ。ビルラッセル、ビッグO(オスカーロバートソン)らが中心でね。
フランフランシラ
で、こちらのポスト。すごい。
国際的な育成システム、特にヨーロッパの育成システムが、我々のポンコツAAUシステムよりもはるかに優れていることを忘れているよ。そのせいで、近年のMVPをヨーロッパ人が獲得している。
アンクルJ
いや、実はそうじゃないんだ。これらの国は人口が非常に少ないから、「育成システム」を持たなければならないんだよ。 概して、コーチングが優れているわけではない。でもまぁ、あなたの言うように、私たちアメリカのような規模の国では、誰もが自由に 「専門家」になることができるからね。素晴らしいコーチの中にも、不適格な人が混ざってるな。
フランフランシラ
そうかなぁ?MVPに君臨する選手(ニコラヨキッチ)を擁するチーム(セルビア)は、それでも我々USAに対して15点差のアンダードッグだっただろ?セルビアは3ポイントレンジから3クォーターにわたってありえないプレーを見せたけど、それでも負けたぞ。世界のバスケットボールは確かに進化したけど、チームUSAは最高の状態で、まだ圧倒的な力を持っているだろ。5大会連続の金メダルだぞ!?
ケンポメロイ(ケンポン)
80年代のジョージグロチコフ以降、NBA選手の20%以上がアメリカ国外で生まれるようになった。セルビアの人口がおよそ660万人なのに対して、我々アメリカの人口は3億5千万人だよ?アメリカの金メダルは嬉しいけどな、、、ドリームチームの時代は終わったんだよ、ケン。
フランフランシラ
70年代に、アレクサンダーニコリッチやミルコノヴォセルのようなユーゴスラビアの名将を定期的にアメリカに招いて、バスケットボールの話をしたり、学んだり、アイデアを共有したりしていたデイブギャビットのことを思い出すよ。
フランフランシラ
あと2つ。
Xで見かけたポストを参考までに。
アメリカ男子はオリンピックにおいて、得点、アシスト、FG%、スリーポイント成功数と成功率、そしてオフェンス効率で1位だったぞ。「専門家」たちは、アメリカがどのファンダメンタルズを伸ばすのに苦労しているのか、もっと具体的に説明する必要があるんじゃないか。
ブライアンマコーミック
「アメリカのユースシステムは崩壊している」「海外の選手は正しい方法でプレーしているのに、アメリカは1対1ばかりだ」「FIBAのバスケットボールはアメリカ人にとってフィジカルすぎる」
フープヘラルド
きりがないので、一旦このへんで。
例えば’80年代に、多くの一流アメリカ人コーチが世界中で”バスケットボール布教”にまわっていたのは、間違いない事実です。
日本にもボブナイトとディーンスミスという、当時の2大コーチがそれぞれのチーム(インディアナとノースカロライナ)を率いてやって来たのをはじめ、コンバース主催のクリニックでは、ビリータブス(オクラホマで1988年NCAA準優勝)やジョディコンラッド(テキサス女子を率いて1986年優勝、殿堂入り)らが登場。
貴重な時間でした。
そして、メッシーナが若いころと言えば、ボローニャのアシスタント、そしてヘッドコーチに就いたころでしょうか。彼がディーンスミスのクリニックの際、運転手役を務めていたというのは驚きです!!
※メッシーナは30歳にしてボローニャのヘッドコーチ就任、その3年後にはイタリア代表HCを務めたスーパーコーチ。その最高傑作とも言うべき存在がアルゼンチンのマヌジノビリであり、2014年からNBAサンアントニオで再度コンビ結成したのは誰もが知るところ。
そしてそして。
今この時、間違いなく日本版メッシーナとも言うべき人材が存在する、あるいは育っているはずです。
自分なりのまとめ(つまり私見)
・今の欧米バスケットボールの現況というのは、多くの面で「ヨーロッパがアメリカにteach back(教え返)している」状態。
・「シェアする意志」が重要。
・NBAとハイレベルFIBAというのは同じバスケットボールだけど違うもの。例えるなら、スペイン語とポルトガル語。FIBAゲームを戦うアメリカ代表は、違う言語を勉強しているようなもの。
・人口の多さ、大きさは必ずしも代表の強さにつながらない。大国であればあるほどまとまりづらく(特にアメリカのような自由・個人主義国ならなおさら)、小さいほどまとまりやすく、”システム”を構築し易い。
※追記として、フランフランシラさんのプロフィールみたいなものを書くつもりです。
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